2011年04月30日

柳本で昼食。

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所用で天理・桜井方面へ出掛けた。途中で昼食をとった。立ち寄ったのは蕎麦の“かおく”(天理市柳本町2918)である。以前より店の前を通るたびに気になっていたお店である。店舗は一般の民家を改造している。そのため、店内に入ると他人の家にお邪魔しているのような錯覚におちいる。食事処は座敷。本日はもりそばを注文した。こちらでは国産の蕎麦を石臼で挽いた蕎麦粉を使用しており、殻ごと挽いた「玄」と殻を剥いて挽いた「抜き」の二種類から選べるという。今回は「玄」でお願いをした。蕎麦は腰があり、喉越しも良かった。蕎麦つゆはどろっと濃厚そのものであった。
ラベル:蕎麦
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2011年04月29日

水野正好先生喜寿記念大講演会。

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考古学者で奈良大学名誉教授の水野正好氏の講演は以前にも拝聴したことがある。今日は某氏に誘われてその水野氏の喜寿記念の講演会に参加して来た。会場は奈良大学の講堂。午後1時から5時まで4時間にもおよぶ大講演会である。演題は「卑弥呼から光明皇后までを語りつくす」。淀みなくひたすら喋り続ける氏の講演会においてはこの「語りつくす」という部分がミソである。今回も主催者側からのたっての希望で入れられることになったという1度の休憩を挟んでトークが炸裂した。とても喜寿を迎えた人とは思えないほどの喋りっぷりである。氏の講演をかつて拝聴したのはかれこれ十年くらい前のこと。その見事な喋りっぷりは十年たったいまも健在であった。まさしく「舌好調」というやつである。選挙ポスターをパロディ化した講演ポスターもユーモアがあっておもしろかった。
ラベル:考古学 講演
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2011年04月27日

岡山紀行(妙興寺)

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岡山紀行(旧閑谷学校)→こちら
岡山紀行(備前市歴史民俗資料館)→こちら
岡山紀行(真光寺)→こちら
岡山紀行(備前焼の里・伊部)→こちら
岡山紀行(福生寺)→こちら
岡山紀行(花光寺山古墳&服部廃寺跡)→こちら

妙興寺(岡山県瀬戸内市長船町福岡684)は、播磨の国主・赤松則興の追善供養のため、応永十年(1403)に日伝上人によって建立された。本堂の裏に広がる墓地には戦国大名・宇喜多直家の父・興家の墓がある。黒田如水こと孝高の曾祖父と祖父に当たる高政と重隆の墓も含まれているという一画もある(写真)。しかし、墓石の表面が摩滅してその特定は不可能であった。本堂と墓地のあいだには2本の大イチョウもある。秋には素晴らしい色づきを見せてくれることだろう。
ラベル:
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2011年04月25日

胃腸炎。

体調不良であることは昨日の日記に記した。今日も出来るだけベッドに横になっていた。昼を過ぎてから急に腹痛がはじまる。トイレに駆け込むと大量の下痢であった。驚くべき量である。数年に一度、起こるかどうかといった程度である。身体の内部の臓器がすべて尻の穴から溶け出したのかと思ってしまうほどの量に大いに驚かされた。内容物をトイレットに流した後も下痢は断続的に続いている。しかし、現在では水様性のものに変わっている。昨日の疲労は肩こりなどではなく胃腸炎の類であることが判明した。しかし、どこで何を食べたのであろうか。思いつくことといえば、3月11日が賞味期限であった梅干を食べたくらいである。しかし、梅干の類で胃腸炎になるのであろうか。不思議である。
ラベル:病気
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2011年04月24日

疲労困憊。

先週は仕事で大忙しであった。普段の2倍は仕事に励んだのではなかろうか。仕事は今日の午後に終わらせた。しかし、外出中、気分が悪くなった。胸焼けというか、吐き気というか、その類の状態をもよおしそうになり、あわてて帰宅した。帰宅後はベッドで横になっていた。普段とは異なり、肩が異常に凝っている。血のめぐりの悪さが不快な気分をもよおさせたのであろう。入浴時、普段以上に念入りに湯船につかった。入浴後は肩を揉みほぐした。おかけで少しはマシになったようである。まったく疲労困憊である。明日は終日オフである。ゆっくりしよう。
ラベル:仕事
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2011年04月19日

後藤明生を読む会(第4回)のお知らせ。

2009年の年末以来、大学時代の同窓生たちと内向の世代の小説家・後藤明生(1932年〜1999年)をめぐる勉強会を立ち上げようと話し合って来た。これまでに何度も会合を重ねた。そして、2010年8月29日に第1回の読書会をもよおすことが出来た。以後、2010年11月20日、2011年2月12日と勉強会を重ねて来た。前回の読書会のことは2月12日の日記に報告したとおりである。参加は自由である。興味のある方はいらっしゃって下さい。

■第4回後藤明生を読む会の御案内
2009年の暮れから有志で集まり、内向の世代の文学者・後藤明生の評論集を制作・刊行してみようと話しあってまいりました。それに先立ち、後藤明生の文学をより深く理解するため、これまでに「後藤明生を読む会」を企画・運営し続けております。後藤作品について共同で討議をするなかでお互いの認識と協同性を高めあい、後藤明生論集を執筆・刊行してゆく道筋をつけてゆければと考えております。特に発表者と聞き手とが相互に入れ替わることで各人がテクストの読み手であると同時に書き手であるという相互変換的な存在へと成長していければと願っております。
さて、来る5月7日、第4回の「後藤明生を読む会」をもよおします。
万障お繰り合わせの上御出席下さいますよう御案内申し上げます。          
謹白

テーマ  後藤明生『日本近代文学との戦い』を読む 
日 時  5月7日(土)13:00〜
場 所  「プレラにしのみや」4階401集会室(兵庫県西宮市高松町4-8)
最寄駅  阪急西宮北口駅
      ・駅の南改札を下りて正面
      ・西宮ガーデンズと県立芸術文化センターの間
      ・地図→こちら
基調発表 小林幹也
参加費用 500円(資料代込)

なお、当日までに後藤明生『日本近代文学との戦い』(柳原出版株式会社)のなかの「T 日本近代文学との戦い」をお読みになった上で、ご参加ください。後藤明生『日本近代文学との戦い』(柳原出版株式会社)はお近くの書店で注文・購入することができます。
ラベル:後藤明生
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2011年04月18日

岡山紀行(花光寺山古墳&服部廃寺跡)

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岡山紀行(旧閑谷学校)→こちら
岡山紀行(備前市歴史民俗資料館)→こちら
岡山紀行(真光寺)→こちら
岡山紀行(備前焼の里・伊部)→こちら
岡山紀行(福生寺)→こちら

花光寺山古墳(岡山県瀬戸内市長船町服部丸山)は華光寺の管理する墓地の裏山に位置している。4世紀後半に築造された全長100メートルの前方後円墳である。後円部に円筒埴輪が三重にめぐらされていたという。その北側には円墳とおぼしき天神山古墳が位置している。花光寺山古墳の西側には服部廃寺跡(写真)がある。服部廃寺は7世紀後半に建立された古代寺院。発掘調査によって金堂・講堂・西回廊および築地の痕跡が発見された。塔の所在は未確認であるが、伽藍配置は四天王寺式であったと考えられている。講堂の跡地の北方にある神社の境内に古瓦の散布が見られた。花光寺山古墳や天神山古墳を築いた勢力の後裔によって建造された古代寺院なのかも知れない。双方があまりにも近接していることからそんなことを考えてみた。
ラベル:古墳
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2011年04月17日

岡山紀行(福生寺)

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岡山紀行(旧閑谷学校)→こちら
岡山紀行(備前市歴史民俗資料館)→こちら
岡山紀行(真光寺)→こちら
岡山紀行(備前焼の里・伊部)→こちら

福生寺(岡山県備前市大内964)には伊部から香登へ向かう途中を熊山方面に向けて登ってゆく。山中を歩くこと30分ほどで到着。現在は実相院・西法院・福寿院の3つの子院によって維持・管理をされている。目当ては三重塔(国重文)である。ところが、本堂から付近を見渡してみてもどこにも三重塔が見当たらない。仕方なく向かって左手にある西法院方面へと登っていった。しかし、あいにく途中で行き止まりになった。これは参った。そう思って本堂へと引き返そうとして振り返ったところ、向かいの山の森のなかに三重塔が顔をのぞかせているのを見つけた。ここからの眺めはなかなかのものである。登り口を見つけて山道を登り、ようやく三重塔にたどり着いた。嘉吉元年(1441年)、足利義教によって建立されたという。塔の脇にある小山から眺めると周囲の山々と調和する姿が実に美しい。かつては大きな寺だったのであろう。本堂から三重塔へと向かう山道にも塔頭の跡と思われる石垣が見られた。ここからさらに山奥に進むと熊山遺跡がある。今回は時間の都合で熊山遺跡までおもむくことは叶わなかった。福生寺は熊山遺跡とは何か関係があるのだろうか。そんなことを思いながら三重塔を眺めた。
ラベル:
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2011年04月16日

岡山紀行(備前焼の里・伊部)

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岡山紀行(旧閑谷学校)→こちら
岡山紀行(備前市歴史民俗資料館)→こちら
岡山紀行(真光寺)→こちら

伊部は備前焼の里である。平安時代の終わり頃、須恵器の工人たちがこの地に移住して来たのが備前焼のはじまりであるという。先日も伊部の北西に位置する医王山の山麓で平安時代のものと思われる古窯跡が発見されて話題となった。桃山時代になると窯は大きく3箇所に集約されることとなる。現在、その3箇所に当たる南大窯跡・北大窯跡・西大窯跡は国指定史跡・備前陶器窯跡として保存されている。今回の旅ではこの3箇所の古窯跡を見学することが出来た。南大窯跡はJR伊部駅の南側・榧原山の北面に位置している。東窯跡・中央窯跡・西窯跡の三基の窯から形成されており、もっとも大きな東窯跡は全長約54メートル、幅約2.3メートル。西窯跡は全長約31メートル、幅約2.8メートルである。現在はその痕跡がかろうじて見られるに過ぎない。なかでも、関心を惹いたのは、窯跡の周辺に形成された幾つもの巨大な物原である。物原は製造工程で生じた破損品などを廃棄した場所。破損品が積もり積もって山のような状態になっている。いまではその山に土も堆積し、草木すら生い茂っている。表面には破損した無数の断片がちらばっており、実に荒涼たる光景である。それらは確かに商品価値を持たない破損品である。しかし、それが積もりに積もると、それ自体、ある種の価値や存在感を持ちはじめる。破損品にしか出せない深い味わいが見るものを圧倒するのである。これは実際に物原を見たものにしかわからない感動である。伊部を訪れた際、是非とも訪れて欲しい場所である。無数の破損品はJR伊部駅の北方側に位置する北大窯跡やJR赤穂線・山陽新幹線の北側で医王山の東麓に位置する西大窯跡でも見られた。ちなみに写真は南大窯跡の物原に転がっていたもの。灯明皿の破片であろうか。
ラベル:備前焼
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岡山紀行(真光寺)

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岡山紀行(旧閑谷学校)→こちら
岡山紀行(備前市歴史民俗資料館)→こちら

真光寺(岡山県備前市西片上1509)は奈良時代に行基菩薩によって建立されたと伝えられる。現在は国道2号線やそれと平行するようにして走るJR赤穂線によって境内が分断され、その南側に仁王門(市指定文化財)、北側に本堂(国重文)や三重塔(国重文)が位置している。写真は室町時代中期に建造された三重塔。牛窓にあった蓮華頂寺のものを慶長18年(1613年)に移築したものであるという。備前片上を見守るようにして屹立する姿が印象的である。
ラベル:
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矢田丘陵縦走36

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朝のうちに仕事を終らせた。その後はフリーである。久し振りに矢田丘陵を縦走して来た。ブログを確かめると3ヶ月振りである。前回、矢田丘陵を縦走したことは1月24日の日記に記した。あれからもう3ヶ月がたったのか。早いものである。いつものように東阪・追分を経由して子供の森から尾根へと駆け上った。子供の森ではお花見を楽しむ一団を目撃した。松尾寺を経由して法隆寺へと下った。法隆寺では修学旅行生の一団も見かけた。桜は満開から散り初めの状態にあった。法隆寺からはいつものように大和郡山を経由して自宅まで戻って来た。写真は追分にある追分梅林の様子である。驚いたことに梅林が大規模に伐採されている。ショベルカーやダンプカーが敷地内に入り込み、梅林の面影はほとんど見当たらない。どうやら国道308号線の南側の空き地に梅の木を根こそぎ移植しているようである。いったい何を目的としてこのようなことがおこなわれているのか。別のところに新たに梅林を作るのは良いとして、現在の梅林を破壊して何をするつもりなのか。残念であることを通り越して怒りすらおぼえる。
ラベル:矢田丘陵
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2011年04月15日

岡山紀行(備前市歴史民俗資料館)

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岡山紀行(旧閑谷学校)→こちら

備前市歴史民俗資料館(岡山県備前市東片上385)は旧閑谷学校から歩いて1時間半ほどのところにある。入館は無料。1階は付近で発掘された大小さまざまな備前焼をはじめとする遺物が多数陳列されていた。2階は近年まで使われていた民具類のほか、当地出身の文学者・正宗白鳥やその弟・正宗敦夫、画家の正宗得三郎、直木賞作家の柴田錬三郎や藤原審爾らの作品が並べられていた。自筆原稿も展示されていた。しかし、長年、ライトに当てられて来たせいだろう。インクがかすれ、判読しづらくなっているものも見られた。
ラベル:備前焼 文学
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岡山紀行(旧閑谷学校)

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以前の岡山旅行の際に訪れた場所をまた紹介してゆこう。旧閑谷学校(岡山県備前市閑谷784)はかつての岡山藩によって作られた学校である。寛文10年(1670)、岡山藩主・池田光政が重臣の津田永忠に命じて創立された。元禄14年(1701)には学校の全容が整い、明治3年(1870)の閉校までの約200年間、庶民を対象にした学問所としての役割をになって来た。しかし、こんな山のなかに学校を開いたことにはどういった意図があるのだろうか。学校のような公共施設は人の集まりやすい交通の要衝地に設けるのが一般的なのではあるまいか。それとも、当時、このあたりが交通の要衝なのであったのだろうか。あるいは北方の和気や吉永方面からも、南方の備前方面からも生徒が集まりやすいように敢えて双方の中間に設けたのであろうか。学問の中心となった講堂は国宝。桁行7間・梁間6間の入母屋造。当初は茅葺であったというが、後に備前焼きの瓦に葺き替えられた。写真は内部の花頭窓。周囲をぐるりと取り巻くカマボコ型の石塀も珍しかった。南へ1キロほど歩いたところにある石門はその大半が地中に埋まっていた。
ラベル:閑谷学校
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2011年04月13日

花粉症終息。

クシャミや鼻詰まりがようやくおさまった。終息の傾向が見えはじめたのは4月に入って以降。3月中とは比べものにならないほど症状が緩和されて来た。あれから半月。今年もようやく花粉症を乗り切ることが出来たようだ。私にとって、花粉症の終息は本格的な春の到来を意味している。
ラベル:花粉症
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2011年04月11日

西国三十三所巡礼(播州清水寺)

西国三十三所巡礼の旅に出た。今回の目的地は第25番札所・播州清水寺(兵庫県加東市平木1194)である。JR相野駅から神姫バスに乗り込む。平日ということもあってバスに乗り込んだ参拝者は私一人だけであった。清水のバス停からはバスは一気に寺のある山頂を目指す。薬師堂にはせんとくんの作者によって作られた十二神将像が陳列されていた。帰りは麓の清水のバス停まで徒歩で下山する。バスの通って来た自動車道とは別の旧道である。葛折りの緩やかな山道をゆっくり下った。途中、稚児岩などを見学。ゆっくり歩いても30分くらいで清水のバス停に到着した。予定では朝光寺方面まで足をのばすつもりであった。しかし、あいにくの天気となったために予定を変更した。
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2011年04月07日

明日香村散策。

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所用で明日香村を訪れた。明日香村には子どもの頃から数え切れないほどやって来ている。しかし、いつ来ても良い。何度来てもまったく飽きない。明日香村の有する歴史性もさることながら、その長閑なたたずまいが心に安らぎをもたらしてくれるからだろうか。写真は明日香村を代表する古代の石造物・亀石である。亀石と呼ばれているものの、その姿は本当に亀を模ったものかどうか、それもはっきりしない。しかし、良くわからないからこそ面白い。そうともいえる。その間の抜けた“顔つき”も明日香村の長閑さとマッチしている。
ラベル:飛鳥
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2011年04月06日

千葉から。

千葉に住んでいる方から電話を頂戴した。その方の安否については地震の直後から気になっていた。しかし、さまざまな事情から、連絡をとるのを敢えて差し控えていた。先日、お見舞いがてら、自宅にお手紙を差し上げた。そのお返事をいただいたのである。おかげさまで大丈夫です。自分の住んでいるマンションはゆらゆら揺れた程度で被害はまったくありませんでした。自分の住んでいるところは昔から地盤のしっかりしたところだったからでしょう。ただし、近年になって埋め立てられたような海沿いの地区では、地震の直後、地面が大きくゆがみ、地下水も所々からあふれ出ていたという。商品の買い占めもひどかったらしい。オイルショックのときと同じく、どういうわけか、トイレットペーパーからなくなっちゃうのよね。それが不思議ね。その方はそうおっしゃっていた。何はともあれ、お元気そうで良かった。
ラベル:地震
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2011年04月05日

サクラ・サクラ。

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春である。桜があちこちで咲いている。写真は大佛鉄道記念公園(奈良市法蓮町)前のしだれ桜である。今日、所用があって近くを通りかかった。その折に足を伸ばして見て来た。近くの佐保川沿いの花並木も咲きはじめている。今週末が見頃であろうか。今週末は別の土地で花を愛でることになる。それはそれで楽しみだ。
ラベル:
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2011年04月04日

姫路で昼食。

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所用でJR姫路駅の駅前商店街をぶらぶらしていると目に入ったのが“新生軒”(兵庫県姫路市南町59)である。昼時であったこともあって思わず飛び込んだ。ラーメンとギョウザを注文。ラーメンはあっさりの塩味。透明感のあるスープが印象深くて美味しかった。カウンターだけの小さなお店である。しかし、サラリーマン風の男性たちが入れ替わり立ち代りやって来ていた。
ラベル:ラーメン
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2011年04月03日

加古川で昼食。

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加古川名物といえば、やはり“かつめし”である。“かつめし”とはご飯の上にビーフカツあるいはトンカツをのせ、さらにデミグラスソースなどのタレをかけた料理である。これまでにも何度か食べたことがある。今回は鶴林寺を参詣したついでにいただいた。訪れたのはJR加古川駅前の“Eden”(兵庫県加古川市加古川町寺家町155-6)である。ここでは“かつライス”という名前で呼ばれている。カツが柔らかい。デミグラスソースもコクがあって美味しかった。カツに良く合うソースである。本場の“かつめし”を堪能した。
ラベル:かつめし
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2011年04月01日

新大宮で一杯。

今夜は仕事関係の呑み会であった。おもむいたのは新大宮の“てぃーだぬ屋”(奈良市芝辻町2-11-15パレス新大宮)である。久し振りの訪問である。2年振りか、いや3年振りだろうか。オリオンビールと泡盛を呑みながらソーメンチャンプルー・ラフティ・もずくの天麩羅・とうふようなどを食べた。久し振りの泡盛に少々酩酊してしまった。
ラベル:泡盛
posted by 乾口達司 at 23:50| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする