2010年08月30日

後藤明生を読む会(第1回)

8月18日の日記でも記したように、29日は後藤明生を読む会の1回目がもよおされた。有志には暑いなかわざわざ参加していただき感謝申し上げます。当日のテクストは『吉野大夫』であった。発表者の基調報告の後、それにもとづいて討議をおこなった。詳細については書かないが、話題となった事柄などをアトランダムに列記しておくと、次のような内容である。『吉野大夫』についての同時代評・中心暗点・『吉野大夫』の作品世界を時系列に配列・作中で言及される日本シリーズ巨人―阪急戦は何月何日のことか・第4章の意味付け・アミダクジ式話法の発現・「変則四叉路」とは何か・「大変ポピュラーな案内書のようなもの」とは何か・会話文について・吉行淳之介訳『好色一代男』について・接続詞の使われ方が変である・「吉野坂」とは何なのかなどなど。これでは何のことだかさっぱりわからないだろう。しかし、こういったことについて話し合ったことは確かである。次回は今秋の予定。『笑いの方法―あるいはニコライ・ゴーゴリ』を中心とした後藤明生の評論について検討するつもりである。ちなみに、当日の朝、会場へ向かう途中、私は降りる駅を間違えるという大失態をやらかしてしまった。
posted by 乾口達司 at 23:17| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

伊藤和『伊藤和詩集』6

伊藤和『伊藤和詩集』1→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』2→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』3→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』4→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』5→こちら

一方、「すいか」を読むと、伊藤和の詩の放つ力強さが他者に対するあたたかな眼差しと表裏一体の関係にあることがうかがえる。

あせがながれる
かんかんてる

ガキらは どんなに たべたいであろう
しるのしたたる まっかなスイカにむしゃぶりついて
はらをてんてんたたくまで

はたけのなかに おおきくそだち
あっちに ごろり
こっちに ごろり
そのうえに つると はがかむさり
はなもたくさんついている

そして かんかんてりますから
スイカはあかくいろづいたろう
ひとつ ひとつ ゆびでつついて
はやくまっかにならないか
ああ おおきくなった はつなりとにばんなり
おおきい おおきい おつきさまのようだという
ガキらは よる そのゆめをみるだろう
そして
はたけのなかに はなとはなをむすばせながら
おおきい はつなりとにばんなり
おららとみんなと わけてたべたい

ガキらは
どこのガキらも おなじことです

けれど かってにたべてはならないど
かってにたべてしまってどうするか
おとなは ガキらを しからねばならない

ああ おとなは やっぱりかなしいだろう
おおきい はつなりとにばんなり
くるまにつんで とおくのまちへ
あせをながしてうりにゆく。
(『伊藤和詩集』83〜83頁より)

ここには伊藤和の優しさとともに現実批判としての眼差しも認められる。現実を批判する一方、すいかを「ガキら」に食べさせてやれないことに対する悲哀もにじみ出ている。いわば、人が社会で生きてゆくということに対する矛盾が総合的に表されている。それは人生そのものであるといって良い。しかし、そうであるからこそ思うのは、伊藤和が抱いた他者に対する信頼をいまの時代にここまでストレートに表現することが出来るであろうかということだ。人生の悲しみや怒りを西瓜に託してストレートに綴る。ある意味では幸せな時代であったと思う。「コップ酒屋にいる男の群」や「高神村事件のときの詩」のように、農村の荒廃が叫ばれ、農民と資本家や国家とを明晰な二分法で構造化することが出来なくなった現代から振り返ると、それらを単純に羨ましく思う。その意味では伊藤和の詩群は反復し得ない一回限りのものである。しかし、反復し得ないからこそ、伊藤和の志はいまもなお私の心を打つ。コップ酒を呑むとき、私は「コップ酒屋にいる男の群」を思い出すだろう。西瓜を食べるときには「けれど かってにたべてはならないど/かってにたべてしまってどうするか/おとなは ガキらを しからねばならない」という一節を思い浮かべることだろう。いまは西瓜の季節である。西瓜を食べながら「ああ おとなは やっぱりかなしいだろう/おおきい はつなりとにばんなり/くるまにつんで とおくのまちへ/あせをながしてうりにゆく」という一節を思い浮かべる。
(終わり)
ラベル:伊藤和
posted by 乾口達司 at 23:20| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月26日

伊藤和『伊藤和詩集』5

伊藤和『伊藤和詩集』1→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』2→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』3→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』4→こちら

「百姓」や「土方」や「馬車挽き」たちと自分自身とを同質の存在として位置づけること。その強固な同質性が「高神村事件のときの詩」を生み出す原動力でもある。「高神村事件のときの詩」は1929年に起こった高神村農魚民蜂起事件を描いた一篇。「子供達は叩きこわされた役場や駐在所や山口藤兵衛の家を見に行き万才を叫んだ」「あとからあとから たくさん縛られて行く者の目がギロギロ光る/おとっさん!兄さん!」「部落の男はみんな犯人である/さあ、みんな犯人だ 縛って行け!」といった記述からは、自分もまた彼らの同志であるという伊藤和の思いが伝わって来る。伊藤和はここでも権力側と鋭く対立した「子供達」や「おとっさん」や「兄さん」といった「部落の男」たちと自分自身とを同じ存在として位置づけている。いいかえれば、書き手=伊藤和と書かれる対象=「部落の男」たちとが幸福な関係でもって結ばれている。私の好きな一文に「われわれはその手から断じて逃走しない そいつに逆流する逆流する」がある。「逆流」という言葉が舌を転がせるような粘り強さを感じさせ、文字通り、心の底から何かがせりあがって来るような印象さえ抱かせる。それが二度も繰り返されることによって伊藤和の戦闘的な精神の力強さをあますところなく伝えているといえよう。そして、そういった戦闘的な言葉が吐き出されるのも被抑圧階級である仲間に対する伊藤和の強い共感があるからこそである。他者に対する全幅の信頼と同質性に対する志向が伊藤和の世界を支える力の源泉にほかならない。
(続く)

伊藤和『伊藤和詩集』6→こちら
ラベル:伊藤和
posted by 乾口達司 at 23:26| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

伊藤和『伊藤和詩集』4

伊藤和『伊藤和詩集』1→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』2→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』3→こちら

大地に根を張って生きる農民として、自分たちに恵みをもたらす自然と調和しながら生きる。伊藤和の描く個はこのような存在である。それが労働を介して同じ農民やプロレタリアートと結びついたとき、「コップ酒屋にいる男の群」のような作品が生まれる。

町に行きコップ酒屋のノレンをくぐる
安い酒を一杯 注文する
土間をあらいざらい電灯が照らしている
しなびた瓜漬を噛んでは牛のように舌を出し醤油のジャミた唇を舐め
百姓の仲間がいる 土方の仲間がいる 馬車挽きの仲間がいる
おいらはみんな安い酒一杯二杯では酔わない唇をなめずる
なにしろ腹の虫がおさまらない
モウ一杯から 二杯となり五杯六杯とかさね酔ってくる
コップ酒屋にいる男の群!
おいらをヤクザ者と告げるお定まりのりんしょく共はここにはいない
あつい等はたぶん貯金をする話をし政府をほめながらあいつ等の家にいる
何も持たないヤクザ者には困るとあいつ等が云う、そしておいらはコップ酒屋の腰掛にいる

そうだ、ここにおいらが酔っている
馬のように達者で いくらでも呑みたい唇を舐めずり
空になるコップを冷笑し
また腕と腕が唸りミケンから血を流すそんな喧嘩もやり
おいらの眼はあいつらが震えるほどすわっている
全く それならば何が喧嘩をさせるのか、なんて理屈はヤボなことだ
喧嘩でもなんでもやるときはやる
胸がむかつく コップ酒
コップ酒屋に来て見て驚く奴には毒だ
おいらが酔っている
で、結局 血を拭ってまた呑み直しおいらは大いに笑う
(『伊藤和詩集』38〜40頁より)

語り手は伊藤和自身を連想させる「おいら」。「おいら」は「百姓」や「土方」や「馬車挽き」たちの様子を描きながら、彼らに交じってコップ酒をあおる。そして、「貯金をする話をし政府をほめ」る「あいつ等」に対して激しい憎悪を抱く。「血」や「喧嘩」という言葉からは、当該シーンが「あいつ等」を相手に闘い、傷ついた後のエピソードであることを暗示している。「あいつ等」との闘いはどうやら芳しい成果をあげるまでにはいたらなかったようである。そのことがみずからの怒りや遣る瀬無さを増幅する。その激しさがときには意味の通りにくい文章となって現れることもある。「おいらはみんな安い酒一杯二杯では酔わない唇をなめずる」という一文は「おいらはみんな」と同じように「安い酒一杯二杯では酔わない」、酔えないで「唇をなめず」っているといった意味であろうか。注目すべきは、「おいらはみんな」という部分が、「おいら」と「百姓」や「土方」や「馬車挽き」たちとを同質の存在として伝えていることである。「おいら」は筆者個人である。それとともに「百姓」や「土方」や「馬車挽き」でもある。すなわち、「おいら」は個であって同時に集団である。彼らを含めた被抑圧階級の集合的=象徴的な存在である。もちろん、「あいつ等」から蔑視される「おいら」(たち)は、彼らによって強権的に抑圧される対象であるがゆえに不安定な自己存在を強いられる。そのことが「おいらはみんな安い酒一杯二杯では酔わない唇をなめずる」という一文の意味の通りにくさや不安定さに表されているのであろう。しかし、伊藤和にとって、そのような存在はみずからの望むところであったはずだ。そうであるからこそ「おいら」は「そうだ、ここにおいらが酔っている」と力強く宣言しているのである。伊藤和は、いま一度、「おいらが酔っている」と宣言する。この言葉は酒に酔った「おいら」の状態を表したものであるとともに「あいつ等」と鋭く対峙するみずからの存在をあらためて見つめ、決意を強めたことの表われでもある。いいかえれば、客観であるとともに強烈な主観そのものである。
(続く)

伊藤和『伊藤和詩集』5→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』6→こちら
ラベル:伊藤和
posted by 乾口達司 at 23:17| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

伊藤和『伊藤和詩集』3

伊藤和『伊藤和詩集』1→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』2→こちら

「無題」の全文である。とかくシモがかった話題は卑猥で退廃的な印象を与えるものである。しかし、本篇で描かれる「ラッパ屁」は卑猥や退廃とは無縁である。むしろ健康そのものであるといっても良い。しかも、それは「手を濡らさない」連中を批判し、圧倒する戦闘的な手段として巧みに駆使されている。これほど明朗で力強い「屁」も珍しいのではあるまいか。大袈裟にいえば、ラブレー的というか、カーニバル的な匂いさえ感じさせる「屁」である。農民である「おれ」は泥のなかで農作業に没頭する。その身体は泥にひどくまみれているであろう。全身から噴き出した大量の汗と泥とが入り混じって独特の臭気さえ発しているはずだ。「おれ」=農民は泥のなかで生まれ、泥とともに生き、そして、泥とともに命を終える。「泥」=大地にしっかりと足をつけ、その恵みを一身に受ける。そのような存在として描かれている。農民に対する愛情にあふれた眼差しが感じられる演出である。なかでも、注目すべきは「おれ」が「泥にどっかりと坐って」いる「蛙」に対して共感を抱いていることである。「いつもの青空を見ると頭のてっぺんにでっかい雲の峯が現われている」という一節からは「おれ」が「蛙」とともに「でっかい雲の峯」とも親和的な関係を有していることがうかがえる。伊藤和にとって「おれ」=農民は大地や天空、あるいはあらゆる生きものを包摂した全存在的な存在として大地に力強く屹立しているのである。「おれ」の「ラッパ屁」が健康そのものである所以である。
(続く)

伊藤和『伊藤和詩集』4→こちら
伊藤和『伊藤和』詩集5→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』6→こちら
ラベル:伊藤和
posted by 乾口達司 at 23:31| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月23日

伊藤和『伊藤和詩集』2

伊藤和『伊藤和詩集』1→こちら

私の手許には『伊藤和詩集』(1960年9月/国文社刊)がある。収録されている詩篇の数は56篇。『現代詩大事典』でも紹介した『泥』所収の27篇のほか、戦前から戦後にかけて発表された作品が収められている。巻末に付け加えられた秋山清の「伊藤和と『馬』事件」によると、本作の編纂には秋山清が関わっているようである。「伊藤和詩集の出版が決まったとき、私は『あつめられるだけの作品をもってすぐ上京するように』と彼に手紙をかいた。一九五六年の十一月」のことであった」「やがて十二月になって案外元気にやってきた。伊藤は、そのとき『これだけしかないョ』と、一九三〇年に発禁になった詩集『泥』の写しと戦後の作品をすこしばかりもっていた」。こういった秋山の回想によると、『伊藤和詩集』に収録された詩篇が伊藤和のすべての作品ではないことが読み取れる。あくまでも幾つかの時期に発表された作品を集めた代表作選集といったところであろうか。しかし、これだけをとってみても、農民詩人としての伊藤和の骨太さやたくましさは充分にうかがえる。例えば、「無題」は農民としての所感を力強く謳い上げた詩篇である。私の好きな作品の一つである。

そして十二時にもならないうちに腹が減って
なでしこのきざみを吸いつけると空き腹が非常にグルグルと鳴る つまり元気よくラッパ屁が出た
側でとろとろに溶けあってる泥にどっかりと坐って蛙が鳴いている
おれはそいつが好きになっている
とにかく百姓はよく屁をたれる
手を濡らさない奴の九鱈ない発想なんか屁で軽蔑してやればいい、あついらにおれ達の咽喉を使うまでもないことだ
深い泥の中には働く者だけがいる
で、いつもの青空を見ると頭のてっぺんにでっかい雲の峯が現われている
暑くなるからお互に気をつけようぜ!
みんなよ。
(『伊藤和詩集』30〜31頁より)
(続く)

伊藤和『伊藤和詩集』3→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』4→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』5→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』6→こちら
ラベル:伊藤和
posted by 乾口達司 at 23:27| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月22日

伊藤和『伊藤和詩集』1

20100822-1.bmp

伊藤和(1904年〜1965年)は千葉県出身の農民詩人である。いまではその名前を知るものはそれほど多くはあるまい。私が伊藤和の存在を知ったのはいまから十年以上前のことである。当時、小野十三郎についての論考を書いていたとき、小野が秋山清らとともに創刊した「弾道」や萩原恭次郎の「クロポトキンを中心にした芸術の研究」のなかでその名前を見つけた。しかし、当時は小野や秋山の文章に目を奪われていたこともあり、伊藤和の詩に関心を寄せるまでにはいたらなかった。その後、2008年2月に刊行される『現代詩大事典』(三省堂)の執筆を依頼された。編集部から依頼された担当項目のなかに「伊藤和」が含まれていた。これはまったくの偶然である。しかし、伊藤和の作品世界を真正面から吟味する機会に恵まれたという意味ではまことに有り難い偶然であった。『現代詩大事典』に寄稿した伊藤和のプロフィールを引用しておこう。

千葉県栄村(現、匝瑳市)生まれ。一九二三(大12)年頃から農民運動に参加。三〇年、田村栄らと同人誌「馬」を発刊。高神村農魚民蜂起事件(二九年)を支援した詩等により不敬罪・治安維持法違反・出版法違反で懲役二年(執行猶予四年)の判決を受ける。同誌と同年秋刊行の詩集『泥』は発禁処分となった。無政府共産党事件(三五年)、農村青年社事件(三六年)でも検挙された。「クロポトキンを中心にした芸術の研究」「弾道」「文学通信」「詩行動」等に貧困に喘ぐ農民の日常を活写した重厚な作品を発表。戦後は「コスモス」「新日本文学」等で活躍した。『伊藤和詩集』(六〇・九 国文社)がある。(『現代詩大事典』69〜70ページより)
(続く)

伊藤和『伊藤和詩集』2→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』3→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』4→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』5→こちら
伊藤和『伊藤和詩集』6→こちら
ラベル:伊藤和
posted by 乾口達司 at 23:03| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月18日

後藤明生を読む会(第1回)開催のお知らせ。

昨年末以来、大学時代の同窓生たちと内向の世代の小説家・後藤明生(1932年〜1999年)をめぐる勉強会を立ち上げようと話し合って来た。これまでに何度も会合を重ねた。そして、今回、第1回の読書会をもよおすことになった。以下、発起人の一人が関係各位に送信したメールを貼り付けておこう。参加は自由である。興味のある方はいらっしゃって下さい。

■「後藤明生を読む会」のお誘い
酷暑の候 いかがお過ごしでしょうか。
さて、去年暮れごろから数名の有志で、後藤明生に関する評論集を共著という形で刊行しようと話をしてまいりましたが、今回はそれに先立ち、「後藤明生を読む会」を開催することにいたしました。
こういう会を何度か、続けるなかで、共同ディスカッションを通して、後藤文学に対する読みを深め、また広げていくのが、目的です。
発表者と聞き手が相互に入れ替わり、巻き込む形で、それがやがて、書き手へと、そして読み手へとお互いに育っていければ、幸いだと考えております。

第1回「後藤明生を読む会」を平成22年8月29日に開催します。場所は「プレラにしのみや」4階401集会室です。(「嚠喨の会」という名称で部屋の使用許可をとってあります。)
プレラにしのみや→
地図はこちら→

「プレラにしのみや」(西宮市高松町4番8号)は阪急西宮北口おりて南側、西宮ガーデンズと県立芸術文化センターの間にあります。
参加費用・250円(部屋代・空調費代・資料コピー代です。たくさん集まれば、頭割りにしますので、もう少し安くなります。)
時間は、午前9:00から12:00までです。奮ってご参加ください。また終了後は、西宮ガーデンズで打ち上げの昼食会を行う予定です。(実費負担)

プログラム・タイムテーブル
午前900〜9:10  会場設営
午前9:10〜    受付開始
午前9:20〜    ご挨拶「後藤明生を読む会」の趣旨について
午前9:30〜10:15 基調発表・小林幹也「『吉野大夫』の魅力について
午前10:15〜11:45共同討議(ディスカッション)
午前11:45〜   撤収
午前12:10〜   西宮ガーデンズに場所を移しての昼食会
posted by 乾口達司 at 23:50| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月16日

西国三十三所巡礼(清水寺)

20100816-2.bmp

今日の主要な目的は西国三十三所第16番札所・清水寺(京都府京都市東山区清水1丁目294)に参詣することであった。清水寺にはもちろんこれまでに何度も足を運んでいる。子どもの頃より少なくとも十回くらいは訪れているはずである。しかし、最近はめっきり足が遠のいていた。春夏秋冬、いつ訪れても人・人・人でゴッタ返しているからである。ここ十年ほどで訪れる観光客はかなり増えたような気がする。これだけ猫も杓子もとなれば、ヒネクレ者の私などは自然と足が遠のいてしまう。正直にいって、私には何とも参詣しづらい寺院の一つである。今日は千日参りの最終日。内々陣では無数のロウソクが灯されていた。ロウソクの熱気と参拝者の人いきれで内々陣はむせ返るような暑さであった。音羽の滝も長蛇の列であった。これでまたしばらくは参詣することもなかろう。
posted by 乾口達司 at 21:57| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 西国三十三所巡礼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都でランチ。

20100816-1.bmp

今日は終日オフ。西国三十三所の巡礼もあって清水寺へ向かった。途中、昼食で入ったのは“たかばしラーメン京都南インター店”(京都市南区上鳥羽麻ノ本27-3)である。先月、現在の屋号に変更になったばかりである。旧名である“第一旭”といえば、知っている人は多いのではなかろうか。京都ラーメンの老舗である。しかし、丼に印刷されている店名はいまでも「第一旭」であった。もっともオーソドックスな醤油味のたかばしラーメンを「ネギ・モヤシ多め」「麺は硬め」「スープはこってり」で注文。思えば久し振りの“第一旭”である。冷麺も美味しそうだった。店舗の上に掲げられた看板の「スピード違反罰金12000円、ラーメン600円」という文言には思わず頬を緩めてしまった。
ラベル:ラーメン
posted by 乾口達司 at 21:33| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月15日

高円山の大文字。

大文字焼き(送り火)といえば、京都の五山の送り火が有名である。しかし、奈良でも大文字焼きがとりおこなわれる。京都の8月16日に対して、奈良は毎年8月15日におこなわれる。今夜も、午後8時、高円山に火が点火され、暗闇のなかに「大」の字が浮かび上がった。全山に火がまわるまでに10分から15分ほどかかる若草山の山焼き(1月)とは異なり、点火とほぼ同時に「大」の字が浮かび上がるため、外でそれほど長く眺めているわけではない。せいぜい数分といったところであろう。今年は実家の前から眺めた。甥っ子のシュンとユウも大文字を見る機会に恵まれた。子どもの頃から見慣れた光景である。大文字を目にするとこれで今年のお盆も終わったことを実感する。
ラベル:大文字
posted by 乾口達司 at 22:58| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 春夏秋冬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月14日

『すみ鬼逃げた』と唐招提寺。

『すみ鬼にげた』(福音館書店/2009年11月)という童話があることを教えてくれたのは大学時代の同窓生Mであった。「すみ鬼」とは唐招提寺・金堂の四隅の軒下に据えられた4体の隅鬼(邪鬼)のこと。Mは子どもの課題図書として『すみ鬼にげた』が選ばれていることを告げた。そして、「すみ鬼」を見学するため、子どもを連れて唐招提寺を拝観するべきかどうかと私に訊ねた。昨年までおこなわれていた金堂の改修工事期間中であれば、Mの所望する「すみ鬼」を間近で拝観することも可能であった。実際、私も改修工事中に訪れたときにすぐ目の前で「すみ鬼」を見学している。自分の眼に焼きつけたばかりか、カメラにも収めている。4体のうち、奈良時代の創建当時のものは3体、残り1体は江戸時代に取り替えられた後補ではなかっただろうか。しかし、改修工事が終わった現在、実物をすぐ目の前で見学することは出来ない。金堂の建っている基壇の上に立ち、見上げるような格好で下から眺めることになる。何しろ金堂は大きな建物である。下から眺めることによって観察者と「すみ鬼」とのあいだに相当の距離が生じる。したがって、その姿をはっきり確認することは双眼鏡を使っても難しい。ましてその表情をじっくり観察することは不可能であろう。Mに対してはそのように答えておいた。すると今度は帰省中の妹からも同じ質問を受けた。どうやら甥っ子シュンの夏休みの課題図書の一冊も『すみ鬼にげた』であるらしい。「すみ鬼」を間近で見ることは叶わないとはいえ、時間があれば、この夏休みのあいだに駿を唐招提寺に連れていってやろうと思う。
ラベル:童話 唐招提寺
posted by 乾口達司 at 18:33| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月13日

お盆でも仕事。

世間ではお盆休暇をとっているものも多いだろう。しかし、私にお盆休みはない。昨日はお盆の法要が入っていたとはいえ、大半は仕事に費やされた。今日も仕事で忙しかった。本業の他にも別件の仕事もおこなっていた。明日も仕事の予定が入っている。明日中に仕事をやり終えれば15・16日と休みがとれそうである。しかし、これは特別なお盆休暇ではない。日曜日と月曜日は毎週のオフ日である。今年も毎週のオフ日以外にはお盆休暇をとることは出来そうにはない。しかし、折を見てお墓参りにだけは行っておきたいと思っている。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。
ラベル:仕事
posted by 乾口達司 at 22:12| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月12日

お盆。

20100812-1.bmp

お盆の季節である。実家ではお坊さんを招いて簡単な法要がいとなまれた。法要の後は参列者だけで西国三十三所の御詠歌を詠んだ。仏壇の前にはお盆用のお供えが用意されていた。写真は精霊馬。ナスビに割り箸を突き刺し、それを牛に見立てたものである。「精霊馬」なのに「牛」である理由はキュウリに割り箸で足をつけて「馬」に見立てるものと「牛」とが対になっているからである。一般的な御供えの他にこういったものが供えられるというのがおもしろい。牛はこの世とあの世とを媒介する存在と考えられているのであろうか。精霊たちが牛の背中に乗ってあの世とこの世とを往還する。何とも微笑ましい光景である。
posted by 乾口達司 at 22:19| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 春夏秋冬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月09日

甥っ子の誕生日会。

20100809-1.bmp

今日は甥っ子であるシュンの誕生日。夜はシュンの好物である手巻き寿司とデコレーションケーキで11歳の誕生日を祝った。デコレーションケーキは“patisserie N,atsuhiro”(奈良市三条大路5-1-25 )で買い求めた。もちろん、美味しかった。シュンは弟のユウとケーキの上に立てるローソクを消すのに忙しそうであった。
ラベル:ケーキ
posted by 乾口達司 at 23:10| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月08日

JR奈良でテイクアウト。

JR奈良駅から歩いて10分ほどのところにある“KARAKU”(奈良市杉ケ町73)に立ち寄った。店がオープンしたのは昨年だっただろうか。以来、お店の前は何度も通っている。しかし、なかに入るのは今回がはじめてである。今回はロールケーキ・桃入りのジュレ・プリンを購入。帰宅後、早速、食べてみたが、いずれも美味しかった。焼き菓子も充実していた。今度も近くを歩いたときに立ち寄ってみようと思う。
ラベル:ケーキ プリン
posted by 乾口達司 at 21:41| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月06日

アカテガニとカブトムシ。

現在、実家ではアカテガニとカブトムシを飼育している。アカテガニは、先日の岡山旅行の折、浜辺で捕獲をした。アカテガニは、水辺の近くに住みながら、ほとんど陸上で生活をするカニのようである。したがって、飼育ケースには少量の井戸水の入った小鉢を入れているだけで占有面積のほとんどは砂地の陸地である。日中は設置した鉢植のなかでじっとしている。夜になるとエサを求めて行動する。エサは煮干やニンジンなどを与えている。基本的には何でも食べる雑食性のようである。カブトムシは、現在、実家に帰省中の甥っ子=シュン&ユウが中心になって世話をしている。先日、父親の友人から頂戴した8匹である。こちらは昆虫ゼリーを与えている。この季節ならではのカニとカブトムシ。甥っ子たちにはカニとカブトムシの世話を通して生き物の素晴らしさを知ってもらいたいものである。
ラベル:カニ カブトムシ
posted by 乾口達司 at 22:18| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 春夏秋冬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月05日

岡山紀行(高島)

岡山紀行(ヨット)→こちら
岡山紀行(犬島)→こちら

犬島を出港した後は新岡山港方面へ向かった。児島湾に入ると風も弱まり、海水の色も黄色くなった。海上からは高島を眺める機会に恵まれた。高島は新岡山港の沖に浮かぶ小島。神武天皇が大和への東征の折に滞在したという高島宮のあったところであるとされている。『日本書紀』によると、神武天皇は高島宮に3年間滞在し、東征の支度をおこなったという。『古事記』では滞在日数が8年と記されている。しかし、実際の高島は思いのほか小さかった。島内には磐座も認められるというが、数十分もあれば周囲を一周することが出来そうな程度の大きさでは天皇の一団が8年はおろか3年も暮らすことなど到底不可能である。高島宮の候補地としては岡山市中区にある高島地区や笠岡諸島にある高島なども挙げられているという。前者の高島地区は今年の春の岡山紀行で訪れた。こちらの方が高島宮の設けられた地に相応しいと思う。
posted by 乾口達司 at 22:15| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月03日

岡山紀行(犬島)

20100803-1.bmp

岡山紀行(ヨット)→こちら

牛窓を出発したヨットが犬島に到着したのは午後3時前。犬島アートプロジェクト瀬戸内国際芸術祭2010がもよおされているせいだろう。普段はひっそり静まりかえっている犬島には芸術愛好家と思しき若い男女の姿が目立った。島を一巡して幾つかの芸術作品を見学。その後、ヨットの上でA氏とビールを呑みながら話し込んだ。犬島を出発したのは午後4時半過ぎ。私たちの出港と同時に入港して来た船には相変わらず多くの観光客が詰め込まれていた。
ラベル:犬島
posted by 乾口達司 at 22:50| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月02日

岡山紀行(ヨット)

20100802-1.bmp

岡山の旅から戻って来た。今回は犬島にも渡った。犬島は瀬戸内海に浮かぶ小島。2008年より犬島アートプロジェクトが立ち上げられている。先月からは瀬戸内国際芸術祭2010の拠点の一つとして直島や豊島などの島々とともに芸術祭も展開している。普段は宝伝という港から船で渡る。しかし、今回は親族が所有するヨット(kirakira号)に乗り込んで島に渡った。海のない県に生まれ育ったものにとって、ヨットは新鮮そのものである。当日は牛窓を昼過ぎに出港。小豆島を左手に見ながら遠回りをして犬島に向かった。牛窓からだと直行で1時間程度。今回は2時間ほどかけて到着した。風の向きなどを計算しながら進路を定めてゆく。海をわたる風だけでヨットが進んでゆくということにも驚かされた。ヨットを操縦してくれたA氏に感謝申し上げたい。
ラベル:ヨット 犬島
posted by 乾口達司 at 22:24| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする