2010年07月20日

三島由紀夫『奔馬』4

三島由紀夫『奔馬』1→こちら
三島由紀夫『奔馬』2→こちら
三島由紀夫『奔馬』3→こちら

本多は高宮神社を経由することなく「沖津磐座」にたどり着く。これはいったいどういうことだろうか。考えられるとすれば、次の3点である。@三島由紀夫は実際には高宮神社から「沖津磐座」へと続く現在のルートを歩いたものの、『奔馬』執筆時、記憶違いから誤ってこのようなルートを描いた、A三島由紀夫は実際には高宮神社から「沖津磐座」へと続く現在のルートを歩いたものの、何か意図することがあって、意識的に違ったルートを創作した、B当時の参拝ルートが実際に本多の歩んだ経路にしたがって作られていた。三島由紀夫本人に真相を訊ねることが出来ない以上、現在では@ABそれぞれに幾らかの可能性があるといえよう。なかでも、私がもっとも妥当だと考えるのはBである。その根拠としては、本多が「沖津磐座」にたどり着く直前、「沖津磐座は崖道の上に突然あらわれた」という一文が綴られていることを挙げておきたい。「沖津磐座は崖道の上に突然あらわれた」という記述から推測すると、三島由紀夫は現在のように高宮神社の正面に出て来るルートではなく、直接、「沖津磐座」のあたりに出て来るルートをたどったのではあるまいか。すなわち、山頂を目前にして、その直下をまわり込むようにして奥側(東)へと進み、「沖津磐座」の真下から一気に「崖道」を駆け上ったのではないかということである。「沖津磐座」の背後には確かに三輪山の後方に控える奥不動寺・巻向山方面へと下る山道が存在する。現在、奥不動寺・巻向山方面へと下るルートは立ち入りを禁じられているが、「沖津磐座」の縁に沿うようにして奥へと続くなだらかな山道は三島由紀夫が記した「崖道」とはおよそ馴染まない。それはおそらく三島由紀夫がたどった「崖道」ではあるまい。

では、高宮神社を経由することなく「沖津磐座」の前に直接出て来るような別のルートが存在するのであろうか。残念ながら、私の記憶にはない。三輪山にはこれまでに何度も入山登拝をおこなっている。もちろん、入山登拝のたびに山頂までは必ず登る。山頂では設けられたルートにしたがってまずは高宮神社におまいりをする。その後、高宮神社の背後にまわり込み、尾根伝いに「沖津磐座」へとおもむく。しかし、高宮神社と「沖津磐座」のあいだをつなぐ尾根筋に合流するような山道などはなかったはずである。三島由紀夫が歩いたルートがいまではもう使われなくなっていることは充分に考えられる。使われているとしても、大神神社の神職にだけ利用が許されているたような道であるのかも知れない。いずれにしても、決められたルート以外への立ち入りを禁止されている現状では、「崖道」の存在を自分の目で確かめることは不可能である。それはわれわれが歩く一般的な参拝道のどこから分岐し、どこでどのようにしてふたたび合流するのか。なぜそれがいまでは使われず、現在の参拝ルートに変更されてしまったのか。そして、いまではどのような状態になっているのか。涼しくなったら、三島由紀夫の歩いた「崖道」の痕跡を求めて、もう一度、三輪山に登ってみようと思う。(終わり)
posted by 乾口達司 at 23:06| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする