2010年07月18日

三島由紀夫『奔馬』2

三島由紀夫『奔馬』1→こちら

「四」は、『春の雪』の主人公であった松枝清顕の親友であり、『豊饒の海』全体の狂言廻しの役割を務める本多繁邦が、上司である須川の代理として、大神神社に参拝をするところからはじまる。本多はここで神前奉納剣道試合を観覧し、『奔馬』の主人公となる飯沼勲とめぐり逢う。神前奉納剣道試合が執りおこなわれるのは拝殿前の庭。白軍の先鋒を務める勲は一挙に5人に勝ち抜き、本多を魅了する。「五」では、その冒頭、本多が宮司から「ひとつお山へ登ってみられませんか」と誘われる。「お山」とは拝殿の奥に鎮座する御神体・三輪山のことである。摂社である狭井坐大神荒魂神社でお祓いを受けた本多は登り口から「お山」に登りはじめる。

周囲約四里の三輪山は、西辺の御本社の背後に当る大宮谷を含む禁足地のまわりに、九十九谷の山裾をひろげていた。少し登ると、右方の柵の中の禁足地が窺われたが、下草の茂るにまかせた禁足地の赤松の幹は、午後の日を受けて瑪瑙のようにかがやいていた。

引用部分は登り口から数十メートルほど登ったあたりの記述である。実際、登り口から数十メートルほど登ると、いったん平坦な部分に出る。三輪山からのびる山裾の尾根に相当する部分なのであろう。尾根の右手は三島由紀夫も書いているように「禁足地」である。現在も柵で仕切られて、立ち入りが禁じられている。当該部分は三輪山の突端付近を正確に描写しているといって良かろう。「三光の滝」に到着後、「頂きへのぼる道は、実はここから先が難所なのであった」と記されている部分も同様である。「岩や松の根をたよりに道のない裸の崖を攀じ、少し平坦な経がつづくかと思えば、又さらに、午後の日にあかあかと照らし出された崖が現れた」という箇所は中腹付近の様子を描いた部分である。三島由紀夫が三輪山に登った当時は「道のない裸の崖」だったのであろう。しかし、現在では参拝者の便宜を考えて、急坂などの難所には木による階段が設置されている。「直径一丈たまりの赤松や黒松」「蔦や蔓草にからまれて朽ちかけた松」「入山の信者が何らかの神性を感じて、七五三縄を張りめぐらし、供物をしてある」「崖の半ばに立った一本杉」など、中腹から山頂近くにかけて現れる巨木の多くは、1998年9月22日、近畿地方を直撃した台風7号による強風でその多くがなぎ倒れた。いまでも根こそぎ倒壊した巨木の残骸が登山道の左右に残されたままとなっている。(続く)

三島由紀夫『奔馬』3→こちら
三島由紀夫『奔馬』4→こちら
posted by 乾口達司 at 22:54| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする