2010年07月30日

旅に出ます。

今日は8月から着手する仕事の準備に忙殺された。朝から夕方までみっちり励んだ。おかげで準備はほぼ整った。明日・あさっては岡山に出掛ける。天気は良さそうだ。有り難い限りである。
ラベル:
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2010年07月29日

生みの苦しみ。

今週は通常の仕事・仕事・仕事で大忙しだった。仕事は夕方にはほぼ終了。金曜日中には終えるつもりで頑張っていただけあり、予定よりも1日早く終えることが出来たので良かった。夜は別の作業に没頭した。こちらの仕事は8月に入ったら本格的に取り組まなければならない。今日はテンションとモチベーションを上げるためにさまざまな準備作業をおこなった。おかげで仕事の方向性は見えて来た。後は実際に取り組むタイミングを見極めるだけである。明日も取り敢えずは準備作業に忙殺されることだろう。終日、誰とも顔をあわせず、ただひたすら作業に没頭するという孤独な一日である。断片的な構想を文章に記したり、以前に書き溜めたノート類を開いて読み返してみたり、トイレに籠ってみたり、室内をウロウロしたりと大忙しである。生みの苦しみ。そういっていいかも知れない。しかし、生みの苦しみは、案外、快楽である。
ラベル:仕事
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2010年07月28日

死刑反対論者による死刑執行。

1年振りに死刑が執行されたという。死刑廃止論者である法務大臣が死刑の執行を認めたということで今日のマスコミはちょっとした騒ぎになっていたようである。すべての報道に目を通したわけではない。しかし、私の眼にした報道はいずれも「政治的演出のにおい」や「パフォーマンス」といった言葉で表現されるような浅はかな内容のものばかりであった。これまでに死刑の廃止を訴え続けて来たような人物であったからこそ、なおさら法務大臣としての職責を全うすべく、死刑の執行を決意するまでにはさまざまな葛藤や苦しみがあったはずである。人が人に対して罰として死を与える。その行為そのものに対して、死刑の廃止という崇高な理想と死刑を執行せざるを得ない立場に立たされているという圧倒的な現実との絶望的な乖離に対して、底知れぬ恐怖をおぼえ、眠れない日々が続いたに違いない。実際、死刑存続論者であったとしても、自分がいざ死刑を執行する状況に置かれれば、誰もが同じような心理に駆り立てられるはずだ。それを「法務大臣であるのだから」とか「法律で定められているのだから」といった形式的な理由で当然視する向きもあるだろうが、私からすれば、何と非人間的な発想なのだろうと思う。法務大臣といえども人間である。法律といえども、人間が行使してはじめてその意味がある。政治には政治の領域があることは重々承知しているが、「政治」(現実)と「人間」(理想)とのあいだで引き裂かれ、両者のあいだで苦悩することこそもっとも人間らしいおこないではなかろうか。そして、そうであるからこそ、われわれは死刑を政治の領域からのみ解釈するべきではなく、より本質的な見地から、その存廃までも含めてみずからの思いや考えをめぐらせるべきなのである。死刑の執行をみずからの目で確認したという法務大臣が「国民的な議論の契機にしたい」と述べたのも当然である。そういった人としての当然の葛藤や揺らぎを斟酌することなく表面的な事象のみを取り上げて「政治的演出のにおい」や「パフォーマンス」といった言葉で済ませるようなゲスの勘繰りこそもっとも浅はかで非人間的な態度であるといわざるを得ない。日本のマスコミのレベルが良く表わされた報道である。こんなゲスな連中に日々紡ぎ出される人々の営みや哀歓を報道する資格などあるわけがない。
ラベル:死刑
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2010年07月26日

夕立。

昨日は早朝出勤だった。仕事は大きなトラブルもなく無事に終えることが出来た。それにしても朝から暑かった。屋外で勤務してくれた部下たちには特に感謝しておきたい。夕方、仕事先から戻って来る途中で凄まじい雷雨に遭遇した。すぐ近くで幾つも落雷を目にした。電車に乗り込んだ頃から猛烈な雨に見舞われた。日中の炎天からは想像することも出来ない豪雨であった。おかげでその後のお出掛けに苦労を強いられた。
ラベル: 仕事
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2010年07月24日

地蔵盆とセミの抜殻。

昨日と今日は仕事の打ち合わせで大阪へ。昨日は帰宅が少し遅くなった。帰り道、あちらこちらで地蔵盆がとりおこなわれていた。奈良の地蔵盆としては毎年7月23日におこなわれる十輪院福智院の地蔵盆、8月23・24日におこなわれる元興寺の地蔵盆などが知られている。しかし、そういった名刹だけが地蔵盆をとりおこなうわけではない。昨夜は街角の一角にたたずむ小さなお地蔵さまにもさまざまなものがお供えされていた。お地蔵さまの前で子どもたちが手を合わせているのも実に夏らしい光景であった。子どもたちの足もとにはセミの抜殻が転がっていた。
ラベル:地蔵 セミ
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2010年07月22日

大相撲とNHK

角界が野球賭博問題で揺れているという。大相撲に限らず、芸能や興行の世界が良くも悪くも裏社会と深くつながって来たことは周知の事実である。そのような当たり前の事実を前にして、いまさらのように裏社会との関わりに驚き、「黒い交際」を批判する世のなかの流れそのものに私は驚かされる。そういえば、昨日だったか、今日だったか、どこかの親方に新たな「黒い疑惑」が浮上し、またぞろ騒動になっていたようである。これまでにも裏社会との関わりについては何度も指摘されている。裏社会の構成員が大相撲を観戦していたという話題を耳にしたのも最近のことである。これまでにもあらためるべき機会はいくらでもあったにもかかわらず、何をいまさら、という思いを本音では抱いている角界関係者も多いことだろう。しかし、事態を重く見たNHKは大相撲中継を中止した。実際、白鳳が連勝記録を更新し続けるという見所のある名古屋場所は生中継されていない。残念なことである。しかし、そう思っていたところ、NHKがその日の取り組みを午後6時半からダイジェストとして放送していることに遅まきながら気づいた。これではなぜ大見得を切って大相撲中継を中止したのかがわからない。ダイジェストであるといっても、そもそも大勢の力士が欠場している名古屋場所そのものが通常の場所のダイジェストのようなものに過ぎないではないか。公共放送であるNHKがなぜ大相撲中継を中止したのか、私にはその理由がさっぱりわからない。視聴者から受信料を徴収する公共放送を自認するのであれば、なおさら休場力士が続出し、閑古鳥が鳴いている名古屋場所のありのままを正確に放送するべきではなかろうか。NHKが公共放送としての使命を放棄しているように思うのは私だけだろうか。
ラベル:テレビ NHK 相撲
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2010年07月20日

三島由紀夫『奔馬』4

三島由紀夫『奔馬』1→こちら
三島由紀夫『奔馬』2→こちら
三島由紀夫『奔馬』3→こちら

本多は高宮神社を経由することなく「沖津磐座」にたどり着く。これはいったいどういうことだろうか。考えられるとすれば、次の3点である。@三島由紀夫は実際には高宮神社から「沖津磐座」へと続く現在のルートを歩いたものの、『奔馬』執筆時、記憶違いから誤ってこのようなルートを描いた、A三島由紀夫は実際には高宮神社から「沖津磐座」へと続く現在のルートを歩いたものの、何か意図することがあって、意識的に違ったルートを創作した、B当時の参拝ルートが実際に本多の歩んだ経路にしたがって作られていた。三島由紀夫本人に真相を訊ねることが出来ない以上、現在では@ABそれぞれに幾らかの可能性があるといえよう。なかでも、私がもっとも妥当だと考えるのはBである。その根拠としては、本多が「沖津磐座」にたどり着く直前、「沖津磐座は崖道の上に突然あらわれた」という一文が綴られていることを挙げておきたい。「沖津磐座は崖道の上に突然あらわれた」という記述から推測すると、三島由紀夫は現在のように高宮神社の正面に出て来るルートではなく、直接、「沖津磐座」のあたりに出て来るルートをたどったのではあるまいか。すなわち、山頂を目前にして、その直下をまわり込むようにして奥側(東)へと進み、「沖津磐座」の真下から一気に「崖道」を駆け上ったのではないかということである。「沖津磐座」の背後には確かに三輪山の後方に控える奥不動寺・巻向山方面へと下る山道が存在する。現在、奥不動寺・巻向山方面へと下るルートは立ち入りを禁じられているが、「沖津磐座」の縁に沿うようにして奥へと続くなだらかな山道は三島由紀夫が記した「崖道」とはおよそ馴染まない。それはおそらく三島由紀夫がたどった「崖道」ではあるまい。

では、高宮神社を経由することなく「沖津磐座」の前に直接出て来るような別のルートが存在するのであろうか。残念ながら、私の記憶にはない。三輪山にはこれまでに何度も入山登拝をおこなっている。もちろん、入山登拝のたびに山頂までは必ず登る。山頂では設けられたルートにしたがってまずは高宮神社におまいりをする。その後、高宮神社の背後にまわり込み、尾根伝いに「沖津磐座」へとおもむく。しかし、高宮神社と「沖津磐座」のあいだをつなぐ尾根筋に合流するような山道などはなかったはずである。三島由紀夫が歩いたルートがいまではもう使われなくなっていることは充分に考えられる。使われているとしても、大神神社の神職にだけ利用が許されているたような道であるのかも知れない。いずれにしても、決められたルート以外への立ち入りを禁止されている現状では、「崖道」の存在を自分の目で確かめることは不可能である。それはわれわれが歩く一般的な参拝道のどこから分岐し、どこでどのようにしてふたたび合流するのか。なぜそれがいまでは使われず、現在の参拝ルートに変更されてしまったのか。そして、いまではどのような状態になっているのか。涼しくなったら、三島由紀夫の歩いた「崖道」の痕跡を求めて、もう一度、三輪山に登ってみようと思う。(終わり)
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2010年07月19日

三島由紀夫『奔馬』3

三島由紀夫『奔馬』1→こちら
三島由紀夫『奔馬』2→こちら

本多は山頂にたどり着く。そして、山頂の一角を占める「沖津磐座」に目を奪われる。「沖津磐座」は、現在、奥津磐座と呼ばれている巨石群のことであろう。実際、それは三輪山の山頂まで登って来た参拝者が目にする今日の奥津磐座の光景そのものである。三島由紀夫が三輪山に入山登拝したのは1966年8月24日のこと。当時から「沖津磐座」=奥津磐座の光景は現在と変わらぬ状態であったようだ。三島由紀夫は本多の目を通して「沖津磐座」の姿を次のように描いている。

難破した巨船の残骸のような、不定形の、あるいは尖り、あるいは裂けた巨石の群が、張りめぐらした七五三縄のなかに蟠っていた。太古から、この何かあるべき姿に反した石の一群が、並の事物の秩序のうちには決して組み込まれない形で、怖しいような純潔な乱雑さで放り出されていたのである。
石は石と組み打ち、組み打ったまま倒れて裂けていた。別の石は、平坦すぎる斜面をひろびろとさしのべていた。すべてが神の静かな御座というよりは、戦いのあと、それよりも信じがたいような恐怖のあとを思わせ、神が一度坐られたあとでは、地上の事物はこんな風に変貌するのではないかと思はれた。

「難破した巨船の残骸のような」という比喩はいい得て妙である。その乱雑な配置を「神」との関わりから描いているのも三島由紀夫らしい。しかし、ここで疑問に思うことがある。それは本多が山頂付近でまず目にするのが「沖津磐座」であるということである。山頂には日向御子神を祀る高宮神社が鎮座している。「沖津磐座」は高宮神社の東方百メートルほどのところに位置している。現在、われわれが山頂に到達すると、高宮神社を最初に拝することになる。高宮神社で参拝を済ませた後、その背後に位置する奥津磐座へ参拝するという経路をたどる。ところが、本多は「沖津磐座」に参拝した後に高宮神社を訪れているのである。これは順路としては明らかにおかしい。(続く)

三島由紀夫『奔馬』4→こちら
posted by 乾口達司 at 22:36| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月18日

三島由紀夫『奔馬』2

三島由紀夫『奔馬』1→こちら

「四」は、『春の雪』の主人公であった松枝清顕の親友であり、『豊饒の海』全体の狂言廻しの役割を務める本多繁邦が、上司である須川の代理として、大神神社に参拝をするところからはじまる。本多はここで神前奉納剣道試合を観覧し、『奔馬』の主人公となる飯沼勲とめぐり逢う。神前奉納剣道試合が執りおこなわれるのは拝殿前の庭。白軍の先鋒を務める勲は一挙に5人に勝ち抜き、本多を魅了する。「五」では、その冒頭、本多が宮司から「ひとつお山へ登ってみられませんか」と誘われる。「お山」とは拝殿の奥に鎮座する御神体・三輪山のことである。摂社である狭井坐大神荒魂神社でお祓いを受けた本多は登り口から「お山」に登りはじめる。

周囲約四里の三輪山は、西辺の御本社の背後に当る大宮谷を含む禁足地のまわりに、九十九谷の山裾をひろげていた。少し登ると、右方の柵の中の禁足地が窺われたが、下草の茂るにまかせた禁足地の赤松の幹は、午後の日を受けて瑪瑙のようにかがやいていた。

引用部分は登り口から数十メートルほど登ったあたりの記述である。実際、登り口から数十メートルほど登ると、いったん平坦な部分に出る。三輪山からのびる山裾の尾根に相当する部分なのであろう。尾根の右手は三島由紀夫も書いているように「禁足地」である。現在も柵で仕切られて、立ち入りが禁じられている。当該部分は三輪山の突端付近を正確に描写しているといって良かろう。「三光の滝」に到着後、「頂きへのぼる道は、実はここから先が難所なのであった」と記されている部分も同様である。「岩や松の根をたよりに道のない裸の崖を攀じ、少し平坦な経がつづくかと思えば、又さらに、午後の日にあかあかと照らし出された崖が現れた」という箇所は中腹付近の様子を描いた部分である。三島由紀夫が三輪山に登った当時は「道のない裸の崖」だったのであろう。しかし、現在では参拝者の便宜を考えて、急坂などの難所には木による階段が設置されている。「直径一丈たまりの赤松や黒松」「蔦や蔓草にからまれて朽ちかけた松」「入山の信者が何らかの神性を感じて、七五三縄を張りめぐらし、供物をしてある」「崖の半ばに立った一本杉」など、中腹から山頂近くにかけて現れる巨木の多くは、1998年9月22日、近畿地方を直撃した台風7号による強風でその多くがなぎ倒れた。いまでも根こそぎ倒壊した巨木の残骸が登山道の左右に残されたままとなっている。(続く)

三島由紀夫『奔馬』3→こちら
三島由紀夫『奔馬』4→こちら
posted by 乾口達司 at 22:54| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月17日

三島由紀夫『奔馬』1

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三島由紀夫の『奔馬』を読み返した。数日前のことである。『奔馬』をはじめて読んだのは中学3年のとき。確か卒業式を間近に控えた頃ではなかっただろうか。『豊饒の海』の第2巻として、第1巻である『春の雪』の後を受けて読んだのであった。それ以来、一度も読み返してはいない。しかし、それは『奔馬』にだけ限らない。三島由紀夫の小説すべてに対して当てはまる。なぜ読み返さないのか。理由は明瞭である。私が三島由紀夫の良き理解者ではないからだ。社会人になってから読み返したのは『近代能楽集』だけである。『近代能楽集』を読んで思ったのは、三島由紀夫という作家は、劇作家としてはきわめて優秀な人物であるということだった。『近代能楽集』は日本の近代戯曲を代表する名作であると思う。しかし、『奔馬』に限らず、小説はいずれも凡庸である。高級な通俗小説。そういっていいかも知れない。少なくとも私の考えている小説とは対極に位置するような代物である。その思いは現在にいたるまで変わっていない。

『奔馬』を読み返したのにはわけがある。『奔馬』のなかに三輪山(奈良県桜井市)が登場するからである。先日、今年になって三度目の三輪山入山登拝をおこなった。そういったいきさつもあり、一度、三島由紀夫が三輪山をどのように描いているのかを確かめたくなったのである。私が読み返したのは三輪山とそれを御神体として祀る大神神社が登場する「四」と「五」に限られている。それ以外の箇所には目を向けていない。したがって、これから綴ることは『奔馬』全体の物語とは関係がない。作品の価値とも無縁である。さいわい、書架には中学時代に購入した『奔馬』の文庫本が他の作品と一緒に残されていた。昭和52年8月30日発行・昭和61年1月30日17刷の新潮文庫版。「四」と「五」は文庫本の25頁から44頁にかけて収められていた。(続く)

三島由紀夫『奔馬』2→こちら
三島由紀夫『奔馬』3→こちら
三島由紀夫『奔馬』4→こちら
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2010年07月16日

梅雨明け?

先日までは梅雨空であった。しかし、昨日の午後、夕立のような豪雨が過ぎ去ったあたりからは強い陽射しが差し込みはじめた。それと同時に遠くでセミの鳴き声が聞こえた。今年はじめてのセミの声である。梅雨が明けた。そう思える瞬間だった。気象庁による梅雨明け宣言はまだ発表されていないようである。しかし、梅雨前線はすでに東北地方にまで押し上げられている。近畿地方の梅雨明けが発表されるのも一両日中のことであろう。さあ、真夏の到来である。明日あたりからセミの鳴き声がよりいっそううるさくなることだろう。
ラベル: セミ
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2010年07月15日

水間町でランチ。

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社会福祉法人・青葉仁会が経営する“カントリーカフェハーブクラブ”(奈良市水間町3020-3)は奈良市東部の水間町にある。森や田んぼ、茶畑にかこまれた長閑な山中である。店の存在は以前から知っていた。しかし、訪れたのは今回がはじめてである。今回はスペアリブランチとピザを注文。スペアリブはジューシーでボリューム満点である。石窯で焼いたパンも美味しかった。隣の席で女性が食べていたオムライスも大きかった。レジの横では自家製のパンも販売されていた。帰りに幾つか買い求めた。店内では障害者と健常者とが一緒になって働いている。その光景が実に微笑ましかった。水間方面に出掛けた折にはまた訪れてみようと思っている。
ラベル:パン スペアリブ
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2010年07月14日

大和郡山市の和爾下神社。

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和爾下神社と呼ばれる古社は2つある。一つは天理市櫟本町に存在する和爾下神社。こちらは前方後円墳の上に社殿が建てられており、上治道社と呼ばれている。もう一つは、先日、訪れた和爾下神社(大和郡山市横田町23)である。こちらは前者に対して下治道社と呼ばれている。祭神は素盞嗚尊・大己貴命・奇稲田媛命・横田物部命。興味深いのは祭神のなかに横田物部命という聞き慣れない祭神が祀られていることである。鳥居脇に建っている案内板にも神社の由来として「古代六世紀ごろ横田物部の旧墳の丘に和爾下の御社を安置されしと昔人の言い伝えに聞く」と綴られている。このあたりはどうやら『先代旧事本紀』所収の天神本紀に列記された横田物部氏の本拠地であったようだ。しかし、和爾下神社といえば、その名のとおり、古代の豪族・和珥氏とゆかりの深い神社である。そこにどうして物部氏が関わっているのか。現在の名阪自動車道を境にして北が和珥氏、南が物部氏の勢力圏であったことはおおよそ察しがつく。しかし、どのような経緯で下治道社=和爾下神社において両者が合流することになったのか。そのあたりのことについてはまるで見当がつかない。今度は久し振りに上治道社にも参拝してみよう。
ラベル:神社 古墳
posted by 乾口達司 at 22:23| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月12日

天理市の業平朝臣姿見の井戸

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西名阪自動車道の南方、地蔵寺の向かいに業平朝臣姿見の井戸と称する井戸が存在する。その東方の櫟本町には在原神社も実在している。在原業平生誕の地であるという。業平はこの地から高安に住む女のもとへと通ったとされている。しかし、在原氏といえば、平城天皇の血を引く皇別の氏族である。櫟本のような都から離れた地でどうして業平が出生しているのか。考えれば、不思議なことである。事実関係はどうなっているのであろうか。しかし、逆にいえば、事実関係は不明であるにもかかわらず、そういった伝承が残されているという点が興味を誘う。業平はこの地に暮らしていたのか、それともまったく関わりがないのか。井戸のそばには「蟲泣くや河内通ひの小提灯」という与謝蕪村の句碑が立っていた。
posted by 乾口達司 at 22:44| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月11日

天理市のかぼちゃ薬師。

「かぼちゃ薬師」(天理市楢町310)として呼ばれているのは興善寺薬師堂である。お堂は興善寺本堂の向かいに建てられており、楢神社(天理市楢町443)からは北方へ数百メートルほどのところにある。薬師の名のとおり、堂内には薬師如来が祀られている。初なりのカボチャをそなえると癪や耳の病に良く効くという。楢神社や高良神社の参拝の折に訪れた。拝観しようと思ったのは「かぼちゃ薬師」という名前に惹かれたのがきっかけである。近年、新しくお堂が建てなおされたのであろうか。お堂は真新しかった。内部に安置されている仏さまも新しいものであった。
ラベル: カボチャ
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2010年07月09日

天理市の高良神社。

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高良神社(天理市櫟本町1496)は楢神社の参拝の後に訪れた。高良という名称からは福岡県久留米市の高良大社を真っ先に思い浮かべる。私も以前に一度訪れたことがあるが、高良大社は筑後国一宮と称えられているだけあり、当社とは規模がまったく違う。しかし、両者のあいだには何かつながりがあるのではなかろうか。社殿はかつて長寺と呼ばれた古代寺院の跡地の上に立っているという。実際、付近には古代の布目瓦の破片と思しきものが散見された。それより以前には弥生時代から古墳時代にかけての古代集落も存在していたようである。付近一帯が古代豪族・和珥氏の本拠地であることとどこかで関係があるのであろうか。高良大社との関わりや和珥氏との関わりなど、興味の尽きない神社である。
ラベル:神社
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2010年07月08日

天理市の楢神社。

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天理街道を櫟本方面へ向かうと道路の左手に「楢神社」と記された看板が目にとまる。先日、「楢神社」という名前に惹かれて参拝をして来た。楢神社(天理市楢町443)は櫟本の集落のなかに位置している。鎮座は767年。祭神は五十狭芹彦命と鬼子母神である。「楢」の名は大楢君と称する古代の族姓名に由来するという。由緒書をひもとくと五十狭芹彦命・大楢君・ナラツヒコ命といった名前が見られる。三者の関係はなかなか複雑なようである。地元の小学生であろうか。2人の少年が拝殿を背にニンテンドーDSに興じていた。祭神の一人として鬼子母神が祀られているからであろう。子育て・長寿の神として古くから尊崇されて来た神社であるとのことであった。
ラベル:神社
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2010年07月07日

無鉄砲のカップ麺。

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ラーメン好きであるが、カップ麺はほとんど食べない。しかし、先日、コンビニエンスストアで無鉄砲のカップ麺が陳列されているのを見て思わず購入してしまった。本日、ようやく試食。カップ麺にしては、比較的、良く出来ているように思われる。オリジナルの雰囲気だけは伝わって来る。しかし、カップ麺はあくまでもカップ麺。カップ麺を食べずともすぐに足を運べるところに住んでいるだけに近いうちに本物を食べにゆこうと思う。
ラベル:ラーメン
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2010年07月06日

近鉄奈良で一杯。

三輪山から戻って来た後、自宅でシャワーを浴びてしばし休息。夜6時半からは近鉄奈良駅前の“ほおずき”(奈良市高天町38-1近鉄高天ビルB1F)に集った。“ほおずき”に集ったのは昼の部で三輪山に一緒に登ったマスターのご両親以外のメンバーと夜の部から参加したI嬢・ツッキーの同僚ヨーコ、ピアニストのF嬢、それにN部長である。“ほおずき”を訪れたのははじめてであったが、料理も酒もなかなか美味しかった。次回、また訪れてみよう。それにしてもツッキーとヨーコは若いぶんだけ元気であった。はじけっぷりが素晴らしかった。若いとは良いことだ。“ほおずき”を出た後は有志でワインバー“PICOLE”(奈良市小西町5アルテ館3F)を訪れた。
ラベル:ワイン
posted by 乾口達司 at 21:28| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三輪山入山登拝。

昨日は朝から大神神社の御神体である三輪山の入山登拝をおこなった。今年で3度目の登拝である。今回ははじめて三輪山に登拝する人たちの引率者・ガイド役として登拝したのであった。参加者はマリンバ奏者のM嬢、看護師のI嬢、I嬢の同僚ツッキー、いつも美味しいワインをいただく“セブ”(奈良市西寺林町19-1)のマスター、そしてマスターのご両親。数日前になって急に参加者が増え、思いかけず大所帯になった。狭井神社で受付を済ませた後、御神水をペットボトルに詰めていざ出発。三輪山にはじめて登る人が多かったため、普段のペースの半分くらいでゆっくり登った。参加者の多くはかなり疲れているようであったが、そのぶん、必ずご利益があるはずだ。下山後は“そうめん処森正”(桜井市三輪535)で遅めの昼食をとった。ソーメンが冷たくて美味しかった。
ラベル:大神神社 三輪山
posted by 乾口達司 at 21:10| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 散策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月03日

下半期。

今年も下半期に突入した。早いものだ。前半は忙しかった。後半も同様に忙しい日が続くことだろう。原稿も仕上げなければならない。新しいプロジェクトもはじまる。日々是研鑽で頑張ろうと思う。
ラベル:
posted by 乾口達司 at 21:22| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 春夏秋冬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする