2009年03月30日

見知らぬ街へ。

見知らぬ街へ移り住む。それはきみにとってとても勇気のいることだろう。通りを歩く見知らぬ人の視線さえ冷たく感じられるかも知れない。すべての絆を断ち切られたような深い悲しみに襲われ、不安を感じることもあるだろう。しかし、怖れないで。きみの降り立ったその街はまだ真っ白なキャンバスに過ぎない。真っ白なキャンバスにこれから色を塗ってゆくのはきみ自身。きみはこれからどんな色を塗ってゆくのだろうか。蒼穹をイメージする透き通るような青だろうか。それとも情熱的な赤だろうか。悲しみに満ちた灰色や黒を仕方なく塗りつける日もあるだろう。しかし、灰色や黒から決して眼を背けてはいけない。青や赤だけが素晴らしい色なのではない。灰色や黒もまたきみ自身の色であることに気づいたとき、さまざまな色に彩られたキャンバスはきみにしか描けない絵へと変化してゆくはずだ。見知らぬ街へたどり着いたばかりのきみがそのことに気づくのはもう少し先のことだろう。きみが気づくそのときまで、僕はきみの行く末を見守り続けよう。
ラベル: 引越し
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2009年03月29日

N部長宅パン教室。

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今日は午後から元パン職人のN部長宅でパン教室が開かれた。今回の参加者はF+MT+マリンバ奏者M+Mの姪っ子(中学2年生)である。YHは直前になって急用が入り参加が叶わなかった。今回のテーマはチーズパン。「おおちけいこパン教室」の流儀を伝えるN部長とそのお母さんの指導のもと、パンの生地から作ってゆく。生地を作るといっても自分の手でこねるわけではない。パン生地専用ニーダーを使うので必要な材料を投入するだけである。私はてっきり生地を自分の手でこねるとばかり思っていた。世の中、進歩したものである。ニーディングも2回にわたっておこなうという。ライラック(強力粉)・元種粉・ラードエマなど、普段、耳慣れない専門用語も教わった。パンの熟成には気温が大きく影響することもわかった。なかなか難しいものである。成形のときに触れた生地の柔らかさが特に印象に残っている。出来上がりは写真のとおり。手間と隙をかけて作っただけあってとても美味しかった。コンビニで売っているような粗悪なパンとは味や食感が大違いである。持参したビールやワインを呑みながら出来たてを食した。帰りにはお土産にあらかじめ作ってもらっていたパンをたくさん頂戴した。今後、パン教室を定期的に開いてもらえるようである。次回も是非とも参加しよう。ニーダーも購入したいものである。誰か買ってくれないだろうか。
ラベル:パン
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2009年03月28日

京都大アンティークフェア。

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京都まで出向いたついでにパルスプラザで開かれている京都大アンティークフェアに顔を出した。昨年の秋に開かれた第42回の様子は2008年10月5日の日記に記した。第43回目となる今回は3月27日から29日まで開かれている。相変わらず数え切れないほどの数の店舗がひしめき合っている。今回は何も買わないつもりで会場を散策した。しかし、使い勝手の良さそうな陶磁器や漆器が眼につく。結局、今回は小さな鳥型分銅1個を購入した。中国南方か東南アジアのものであろう。かつて食糧やアヘンの分量をはかるのに使われた分銅であるようだ。ペーパーウェイトとして活用しようと思っている。
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2009年03月27日

生駒市の真弓塚。

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真弓塚は生駒市真弓にある。ハーベスのある交差点を二名住宅和方面へと折れて坂道を登ってゆく。突き当たりを左折。二百メートルほど歩くと右手に給水塔が現れる。手前にコンクリート製の階段が設けられている。コンクリート製の階段は右手の丘陵へとのびている。階段を駆け上る。上り詰めた場所からすぐに藪がはじまる。藪の右手すぐ奥に小さな墳丘状のものが見える。これが真弓塚である。コンクリート製の丸い杭が周辺を取りかこんでいる。杭を乗り越えて墳丘に上る。頂上には「真弓塚」と刻まれた石柱が立っている。真弓塚は国宝の本堂を持つ長弓寺(生駒市上町4446)と深いつながりがある。長弓寺については2008年4月9日の日記に記した。長弓寺は息子の放った矢に当たって死んだ鳥見郷の豪族・小野真弓長弓の菩提をとむらうために建立された寺院である。聖武天皇が行基に命じて開かせたという。真弓塚は小野真弓長弓の墳墓であるといわれている。聖武天皇の用いた弓を埋めたところであるという説もある。現在では石柱以外に往時をしのぶものは何も残されていない。小さな古墳のように見える。しかし、それとて確証があるわけではない。一つだけいえることがある。それは真弓塚が周辺でもっとも小高い場所に位置していることだ。石柱の周囲は木々が生い茂っている。眺望はきかない。しかし、コンクリート製の階段を上り切ったところからの眺めは素晴らしい。その一言に尽きる。大和の国原を一望のもとに見渡すことも出来る。生駒山が間近に控えている。天気が良ければ、はるか遠く吉野の山々まで見渡すことが出来る。古墳であろうが、古墳でなかろうが、先人は実に眺望の良い場所を選んだものだ。西登美ケ丘や松陽台あたりを散策するときはいつも訪れる。真弓塚から長弓寺へ下ることも多い。長弓寺までの距離は歩いて10分ほどである。
ラベル:長弓寺
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2009年03月25日

終息傾向の花粉症。

今年はスギ花粉の飛散が早かったせいだろうか。私の花粉症はそろそろ終息傾向にある。今年は3月の上旬がもっともひどかった。特に目からは涙がとめどなく流れて困ったものだ。しかし、それもそろそろ終わりである。昨年のいまごろはまだクシャミや鼻水がひどかった。ようやく落ち着きはじめたのは4月の中旬に入ってからだったと思う。嬉しい限りだ。もちろん、油断は大敵である。今週末の外出にはまだメガネとマスクをつけていることだろう。
ラベル:花粉症
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2009年03月23日

岡山で昼食&夕食。

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児島へ。→こちら

児島で昼食に入ったのは“うどん処梅荘”(倉敷市児島通生1200番地)である。釜揚げ天麩羅うどんを注文。小雨の降るあいにくの天気だったため、身体があたたまった。建物は日本の塩田王・野崎家の別荘。近衛文麿によって「梅荘」と名付けられたという。確かに座敷の雰囲気が良かった。しかし、自動車道が敷地のすぐ横を通っている。そのため、車がひっきりなしに往来する。それだけは興ざめであった。夕食は“エテパルマ”(岡山市問屋町12-101AROW&DEPARTMENT205号)へ。チキンカレーとダージリンを注文した。帰りの時刻まで少し間があった。それまでの時間をゆっくり過ごした。
ラベル:カレー うどん
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児島へ。

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所用で児島を旅した。昼食をとってまず訪れたのは野崎家旧宅(岡山県指定史跡)である。野崎家旧宅は日本の塩田王として知られた野崎武左衛門によって天保年間から建築された建造物群である。表書院と主屋を中心にして豪壮な長屋門、貴人しかくぐることを許されていない御成門、白壁の土蔵群、茶室などが配置されている。なかでも、表書院の前に置かれた巨大な御駕籠石には圧倒された。先年、国の重要文化財に指定されたという。しかし、疑問なのは国の重要文化財としては「旧野崎家住宅」という名前で登録されていることである。岡山県指定史跡としては「野崎家旧宅」である。名称をなぜ統一しなかったのか。ややこしくて仕方がない。帰り際、野崎家旧宅の門前に店舗を構える“桃太郎ジーンズ”に立ち寄った。児島は日本を代表するジーンズの街。ジーンズを新調しなかった代わりにトートバッグを購入した。写真のような“桃太郎ジーンズ”オリジナルのデザインが入っている。実にオシャレなバッグである。今回は時間に余裕がなくてバタバタしてしまった。しかし、短い時間ではあったものの、自分としてはなかなか有意義な旅になったと思っている。
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2009年03月21日

雨のなか。

あなたが出て行ったのは雨が激しく降っているときだった。そんなに急に出ていかなくてもいいではないか。あなたの出かけるのを前にして最初はそう思ったものだ。しかし、あなたにとって、降りしきる雨のなかの出立には大きな意味があったのだろう。静寂さが支配するなかでの出立は自分の性にあわない。そう思ったのに違いない。思えばあなたはいつも人の輪のなかにいた。決して一人で静かに時を過ごすような人ではなかった。そう考えるとあなたの判断は決して間違いではなかった。いまあらためてそう思う。雨があなたの足跡を消してゆく。歩いてゆくそのすぐそばから消してしまう。足跡すら残さずに出てゆくあなたに対して、取り残された私はどう振る舞えばいいというのか。戸惑いがないといえば嘘になる。しかし、いまはあなたの出立を静かに見守ろう。私の前から去っていったあなたは次に誰と出会うのだろう。そして、私は誰と出会うのだろうか。いつの間にか窓からは陽が差し込んでいた。前夜の雨はすっかり上がっていた。あなたはもういない。いまごろはどのあたりを歩いているのだろうか。せめて自分だけは見失わないで。また会えるその日まで。雨上がりの朝、あなたが大切に育てていた木蓮が真っ白な花を咲かせていた。
ラベル:
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2009年03月20日

法華寺町の阿弥陀浄土院跡。

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平城宮跡東院庭園の東側に位置している。阿弥陀浄土院は奈良時代に建立された法華寺の子院。境内の西南の隅に存在したようである。光明皇太后の一周忌法要がおこなわれたところとしても知られている。現在、往時をしのぶものは田畑のなかに残された一個の立石のみである。境内の庭園に立てられていた立石であるという。亀裂の入っている部分もある。摩滅している部分も見られる。大きく欠落している部分は特に痛々しい。しかし、千数百年の風雪に堪えて来た重みが独特の風格をかもし出している。時代の移り変わりを見て来た立石は、これから先、いつまでこの世界の行く末を見続けるのであろうか。夏場は水田のなかに埋もれてしまう。近くで見学するには稲刈りの終わった秋から田植えのはじまる春先までのあいだに限られる。
ラベル:庭園 法華寺
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2009年03月19日

奈良町で昼食。

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日本料理おばな”(奈良市高畑町1110ホテルサンルート奈良B1F)はホテルサンルート奈良の地下にある日本料理のお店である。その存在は以前から知っていた。しかし、お店に入ったことはなかった。今回、はじめて足を踏み入れた。ランチメニューの「おばな」(2900円)を注文した。お造りなどの前菜を食べ終えると、二段のお重が運ばれて来る。お重のなかには胡麻豆腐や天麩羅、焼き物などが入っている。お重の後に出て来るタケノコ御飯と赤だし、それに〆のアイスクリームとコーヒーも美味しかった。料理を載せた器も華やかで美しい。落ち着いた雰囲気のなかでゆっくりと食べることが出来た。
ラベル: 和食 ホテル
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2009年03月17日

ミナミで一杯。

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スンドゥブの店が流行っている。なんなんタウンの一番奥に位置する“bibim’”(大阪市中央区難波5-1なんなんタウン12号)もそのような店の一つである。ランチでスンドゥブチゲ(チーズスンドゥブ)のセットを食したのは昨年だっただろうか。今回は夜の訪問と相成った。前回と同様、スンドゥブチゲをセットで注文した。辛さは4段階で調整してくれる。今回は上から2番目の辛さを頼んでみた。スンドゥブの中身がおもに豆腐であるせいだろう。豆腐のプルプルした食感とスープの辛さとが絶妙にマッチしており思ったほどには辛くはない。石釜で炊いたゴハンも美味しかった。ゴハンを食べた後の石釜にお茶を注ぎ、残ったおこげをお粥のようにして食べるのも魅力である。酒はビールからマッコリに進んだ。
ラベル:スンドゥブ 韓国
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2009年03月16日

同窓会の打ち合わせ。

先週の金曜日から猛烈に忙しかった。連日、呑んだり、食べたり、早朝から出勤したりでさすがにくたびれた。身体の節々も痛い。昨夜はベッドに入った次の瞬間には眠りに落ちたようである。泥のように眠り続けた。今朝は午前10時前に起床した。今日の日中は小学校の同窓会の打ち合わせがあった。新大宮の某ファミレスに幹事有志が集った。メンバーは主婦のO・K・MとMの子ども、生駒在住のY、マリンバ奏者のM、私の総勢7名である。このメンバーで顔を合わせるのは半年前の同窓会以来である。みんな、元気そうである。4日連続の日夜の宴席でアルコールが完全には抜け切っていない私だけ、頭が働いていないような状態だった。女性陣がワイワイいいながら話し合いをどんどん進めてくれたので大いに助かった。彼女たちが真剣に話し合っているとき、私は私の真正面にすわったMの子どもと時折にらめっこをしたりして遊んでいた。次回の打ち合わせ時期はゴールデンウィーク明けだろうか。とにかく定期的に集まって近況報告をおこなったり、雑談をしたりすることは良いことだ。こういう輪が広がってゆくところに同窓会の醍醐味がある。
ラベル:小学校 同窓会
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2009年03月13日

週末バタバタ。

今日は夜から大阪の本町で仕事の打ち合わせだった。お腹が空いた。ミナミで軽く食事をして帰った。帰宅したのは午後10時半過ぎだった。明日は夕方まで仕事である。夕方からはふたたび大阪へ。その夜はミナミで酒を酌み交わすことになるだろう。土曜日は昼間から奈良町界隈に出没。奈良町の某店でランチをとる予定である。夕方以降は近鉄新大宮駅か大和西大寺駅近辺で酒を呑むことになるはずだ。日曜日は早朝出勤である。仕事は夕方までかかる。仕事が終わるとふたたび大阪まで出る予定である。月曜日は昼前から新大宮の某所で小学校の同窓会の打ち合わせまで入っている。どうしてこんなに忙しくなったのだろう。さまざまな予定が重なってしまったせいであることは間違いない。我ながら呆れるばかりだ。しばらくは体力勝負の日が続く。頑張って乗り切ろう。あらためてそう決意をした。
ラベル: 仕事
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2009年03月11日

よろ。

昨夜の呑み会&誕生日会では若年層の言葉の乱れが話題になった。言葉の乱れについて話し出したのはマリンバ奏者のMではなかっただろうか。最近の若い子は言葉の使い方がなっとらん。わかっていないだけではない。間違っている。そういった内容であったように思う。言葉が乱れているのかどうか。私はそのことを判断する見識を持ち合わせてはいない。しかし、インターネットや携帯電話が普及したことにより、文章が簡略化される傾向にあることだけは確かなようだ。昨夜、その一例として「よろ」にまつわる私の実体験を話した。以前、後輩から送られて来たメールの文末に「よろ」という二文字が付け加えられていた。確か「〜です。よろ」とか「〜だったと思います。よろ」といった文面で使われていたように記憶している。「よろ」とはいったい何であるのか。メールを受け取った当初、私は「よろ」が先に記されていた記述の消し忘れだと思い込んでいた。しかし、後から考えると「よろしくお願いします」の略ではないか。そう思いはじめた。そう考えると辻褄が合う。「よろ」の直前の一文が私に対してあることを依頼する内容であったからだ。しかし、メールの時代になっていくら言葉の簡略化が進んだからといって「よろ」はないだろう。後輩は近頃しばしば使われる「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます」を略した「あけおめことよろ」をもじったのかも知れない。しかし、「あけおめことよろ」は年明けの限られた期間にしか使われない上、簡略前の文面が言葉と言葉とのあいだから伝わって来る。そのため、大した戸惑いをおぼえない。しかし、「よろ」だけでは何のことやらさっぱりわからないではないか!せめて「よろしく」と記すべきではないだろうか。もちろん、言葉の簡略化は若者にだけ限ったことではない。以前、母親から受け取ったメールでは本文に、一言、「電話」とだけ記されていた。電話。だからどうしたというのだ。電話をかけて来いということか。誰かに電話をかけろということか。自分が先ほど電話をかけたということなのか。それとも自分の目の前にいま電話機が置かれているということなのだろうか。せめて「電話をくれ」とか「先ほど電話をかけたぞ」と記すべきではないか。どいつもこいつも困ったものだ。昨夜はそのような実例を挙げて喋りまくった。もちろん、笑いごとではない。事態はかなり深刻である。われわれはインターネットや携帯電話の普及によってこれまで以上に濃密で間断ないコミュニケーションを獲得するにいたった。しかし、その一方で言葉と人との乖離現象が急速に進行していることに留意しなければならない。「よろ」や「電話」などはまだまだかわいいものかも知れない。近い将来、それらは「よ」とか「電」まで簡略化されるのではないか。そうなったとき、私は果たして「よ」や「電」の意味するところを推測であっても把握することが出来るのであろうか。そんな危惧を真剣に抱いている。
ラベル:言葉
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奈良町で一杯&誕生日会。

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今週は別の仕事や私事が立て込んでいて忙しい。今夜も午後7時過ぎまで仕事に明け暮れた。夕方からは奈良町へ繰り出した。向かった先はまたまた“seve”(奈良市西寺林町19-1)である。メンバーはお馴染みのマリンバ奏者M+ピアニストF+看護士I+生駒在住のYHである。私が遅れて参上すると先着組がすでに白ワイン1本を飲み干していた。私は2本目の赤ワインからいただいた。今夜は赤ワインをもう1本注文して雑談に華が咲いた。YHのお見合いネタは充分におもしろかった。今後の展開が大いに気になるところである。今夜はもたもたしているFに発破をかけてやろうと思っていた。それだけにFから聴いた話は実に衝撃的だった。これだけの内容ではその場に居合わせたもの以外はいったい何のことやら見当もつかないだろう。しかし、それで良い。それだけ充実した酒席であったことが伝わればそれで充分である。今回は2月生まれの私、3月生まれのM+F、それに9日に誕生日を迎えたばかりの“seve”のマスターの誕生日会を兼ねた集まりであった。Iが2月・3月生まれの私たちにケーキを用意してくれた。灯りを消して蝋燭に火を灯す。マスターとFとで蝋燭の火を消した。最後はケーキを切り分けてマスターを含めた全員で食べた。マスターからのサービスでケーキにはラズベリーのシャーベットが添えられた。“seve”ではまったくやりたい放題である。勝手にケーキまで持ち込んでしまって良かったのであろうか。マスターには申し訳ない気持ちでいっぱいである。私たちの無邪気なふるまいを笑って許してくれるマスターには感謝!感謝!である。
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2009年03月08日

東大寺二月堂と奈良国立博物館。

下痢はおさまったようである。今日は昼前から外出した。まずは東大寺へ詣でた。お水取り(修二会)の期間中である。二月堂の下の食堂ではお水取りに加わる練行衆が正午からの食堂作法にのぞんでいた。西の局(あまのぞき)に座り込む。六時の勤行のうちの「日中」を拝観。礼堂で繰り返される練行衆による五体投地を固唾を呑んで見守った。それにしても、お水取りの中身を知らない人が実に多い。「日中」の勤行にのぞんで「あの人たち、いったい何をしているの?」と囁き合う声があちらこちらから聞こえた。何をしているだと?お水取り(修二会)に決まっているではないか。そういえば、食堂作法を終えて食堂から出て来る練行衆たちが閼伽井屋(若狭井)の屋根に向けて生飯を投げる。その姿を一目見ようと食堂の脇で控えている人たちに目をやりながら「みんな、誰を待ってるの?」と自分の連れ合いに訊ねる女性もいた。誰を待っているって?ここはお水取り(修二会)期間中の東大寺二月堂なのである。坊主(練行衆)に決まっているではないか。「お水取り」といえば、午後7時から上げられる松明しか思いつかない人が圧倒的に多いこと、高名な割りにその実態が知られていないことに驚かされた。

二月堂を後にして向かったのは奈良国立博物館である。3月15日まで特別陳列『お水取り』が催されている。行政書士の脇阪亮氏に頂戴した招待券で観覧した。お水取りがおこなわれる時期になると、毎年、もよおされる企画である。数年前にも観覧したことがある。しかし、今回も堪能した。二月堂本尊・十一面観音菩薩立像(大観音)の光背に刻まれた観音菩薩の群れは優美である。惜しまれるのはバラバラにくだけていることである。光背がこのようにくだけてしまっているのである。その本体がいまどのような状態で二月堂の内陣にまつられているのか、気にかかる。気にかかるが、絶対の秘仏である以上、その現状を知ることは出来ない。『類秘抄』に記されたもう一体の本尊・十一面観音菩薩立像(小観音)の白描も興味深い。大観音と同様、こちらも絶対の秘仏である。小観音の様態を知る上で貴重な一品である。お水取りの前半は大観音を、後半は小観音をそれぞれ対象にした行事であるといわれる。しかし、なぜ2体の本尊が存在するのか。それも不思議な話である。実忠和尚によって難波の浜辺で拾われたとされる小観音の来歴も謎めいている。その上、いずれも絶対の秘仏である。謎を秘めた2体の仏像である。

平常展では国宝の『辟邪絵』『地獄草紙』『六道絵』に見入った。奈良博ではお馴染みの展示品である。聖衆来迎寺所蔵の『六道絵』は、今回、もっとも良く知られた『人道不浄相』が展示されていた。うら若き美貌の女人の死体が腐乱し、鳥獣や蛆虫に食われて朽ち果ててゆくさまが克明に描かれている。まさしく諸行無常である。「この身もまたしかなり。少かきより老に至るまで、ただこれ不浄なり。海水を傾けて洗ふとも、浄潔ならしむべからず。外には端厳の相を施すといへども、内にはただもろもろの不浄を裹むこと、猶し画ける瓶に糞穢を盛れるが如し」。そして、人が次第に朽ちてゆくさまを綴ってゆく『往生要集』の世界観に通じる図像である。しかし、私はここに本作を描いた画人の優しさを見る。死体のかたわらに立っているのは桜の木であろうか。風に舞い散る花びらが物悲しい。しかし、それは醜く朽ち果ててゆく死体が決して孤独ではないことを伝えている。死体とともに桜もまた花を散らしているではないか。諸行無常は人にだけ科せられた宿命ではない。森羅万象すべての宿命なのである。朽ち果ててゆく死体に寄り添うようにして描かれる桜の様態が見るものにそう訴えかけているかのようだ。しかも、枝にはところどころ青葉が芽吹きはじめている。風に花を散らす桜はその身にすでに新たな生命を宿しているのだ。この点にこそ本作をグロテスクな図像であるといって済ませることの出来ない魅力の一因があると思う。金工では西大寺所蔵の国宝・金銅透彫舎利容器の繊細な作りに魅了された。
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2009年03月07日

下痢。

今回はまことに尾籠な話である。只今下痢に悩まされている。花粉症の次は下痢である。我ながら情けない限りだ。腹部に変調を感じたのは昨日の夜中のこと。今日は朝から下痢が続いた。何か変なものでも食べたのだろうか。まったく心当たりがない。昨日は外出もせず終日仕事に明け暮れた。夜は酒も呑まなかった。お腹が冷えたのであろうか。季節の変わり目である。注意が必要である。整腸剤が見当たらなかった。代わりに梅干を口にした。下痢には梅干が効く。そんな話を以前に聞いたことがある。本当だろうか。今週分の仕事は今日の夕方に終えた。明日・あさっては待望のオフである。明日は奈良国立博物館の特別陳列『お水取り』を観覧して来ようと思っている。明日の朝、下痢がおさまっているのを心より期待したい。
ラベル:下痢
posted by 乾口達司 at 23:25| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月06日

またまた花粉症。

本日は真面目に仕事に没頭した。明日中には今週分の仕事を仕上げなければならない。しかし、昨日の矢田丘陵ではスギ花粉をたくさん吸収して帰宅したせいだろうか。昨夜は花粉症の症状がひどかった。鼻水は出る。頭はボウーッとしている。目は痒いというよりも痛いくらいだ。症状は今朝も続いた。雨が降っていると花粉の飛散は抑えられる。しかし、昨日、吸収した花粉があまりにも多かったせいで午前中いっぱいはその症状に苦慮した。おかげで仕事はいっこうに捗らなかった。楽天家の私といえども、花粉症に対しては前向きに頑張ろうとはとても書けない。書く気すら起こらない。いまはただ花粉の飛散する時期が一日も早く終わるのを心から祈るだけだ。
ラベル:花粉症
posted by 乾口達司 at 22:36| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 春夏秋冬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月05日

矢田丘陵縦走13

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しばらく仕事が山のようにある。来週は私事も加わりさらに忙しくなりそうだ。あまり仕事ばかりではかえってくたばってしまう。そう思って今日は朝から矢田丘陵を縦走して来た。前回、矢田丘陵を縦走したのは2月8日である。そのときのことは2月8日の日記に記した。今朝は珍しく雲一つない天気だった。そのせいだろう。足取りも快調である。いつものように霊山寺の裏山から子供の森へと駆け上がった。子供の森ではハイカーの姿をまったく見かけなかった。尾根沿いを歩いているとき、一組のハイカーとすれ違っただけである。写真は松尾山の頂上に設置された松尾山テレビ・FM送信所である。奈良に住むものであれば、松尾山の山頂にポツンと立つこの送信塔の存在を知らぬものはいないだろう。送信所の下からは白石方面へ抜ける道もあるようだ。私はいつものように松尾寺から法隆寺へと下った。スギ花粉が最盛期を迎えている。おかげでクシャミの連続だった。
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2009年03月03日

雛祭り。

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3月3日は雛祭り。正月を迎えたとばかり思っていたらもう3月である。早いものだ。妹が子どものときは七段飾りの雛人形を出してお祝いをした。しかし、妹が嫁いでしまった現在では収納ケースに仕舞われたままである。妹には女の子がいない。それもあり、雛飾りを出す機会がいまだにめぐって来ないというわけだ。その代わり、実家では写真のような男雛と女雛を飾っている。それぞれの体長は5センチメートルくらい。近頃は部屋の大きさに見合った段数の雛人形を飾るところが多いと聞く。しかし、これはいくら何でも小さすぎるのではあるまいか。その姿があまりにも微笑ましく感じられたので思わず撮影してしまった。
ラベル:雛人形
posted by 乾口達司 at 23:19| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 春夏秋冬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月01日

シュンの転校。

妹夫婦の転勤が決まった。現在、妹夫婦は埼玉に住んでいる。4月からは名古屋に住むことになる。昨日、一家揃って名古屋まで新居を探しに出掛けたようだ。新居はすぐに決まった。JR名古屋駅から地下鉄で30分足らず。現在の住まいよりも広々としているらしい。こちらから遊びに行くにも便利になった。引越し作業が落ち着いたら、早速、遊びにいってみようと思っている。しかし、転勤の話を聞いて真っ先に気になることがあった。シュンのことである。妹の話によると、転勤の話が決まったとき、シュンは激しく抵抗したらしい。無理もあるまい。結婚に際して郷里である奈良を出た妹からすれば、埼玉も名古屋も所詮は見知らぬ土地である。埼玉であろうが、名古屋であろうが、その地に馴染むように努めれば良いだけのこと。しかし、シュンにとって、埼玉は物心のつく前から住み慣れた唯一無二の土地である。一緒に育った友だちも多かろう。ひょっとすると密かに思いを寄せる女の子だっているかも知れない。埼玉を離れるのは嫌だ。そういって抵抗するのは当然だろう。結局、激しく抵抗した後、シュンはお風呂に入って一人でじっくり考えたらしい。入浴時間は1時間近くにのぼったという。入浴を済ませて出て来た後、シュンは名古屋行きを承諾したそうだ。その話を聞いたときは不覚にも涙が出そうになった。まったく偉い奴だ。ションよ。辛かろうが、これが人生というものだ。嘆いてはいけない。たとえ遠く離れようとも、お前の心のなかに故郷は確かに息づいている。この思いを忘れるな。そして、大きくなったら自分の足で故郷を目指せ。住み慣れたかつての我が家を確かめにゆけ。恩師や旧友たちに会いにゆくのも良いだろう。いまはただひたすら前を向いて生きるのだ。決して振り返ってはいけない。今度、シュンに会ったらそういってやろうと思っている。
posted by 乾口達司 at 23:17| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする