2008年05月17日

出雲紀行(出雲で一杯)

夜はJR出雲市駅の近くで呑んだ。“酒肴海鮮 華満”(出雲市今市町928-13)に入った。

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まずはビールで乾杯。その後、焼酎へと移行した。ハタハタの一夜干しやそばサラダを注文した。1時間半ほど呑んだ。さらに一人で夜の出雲を散策した。駅の南側へ出た。“出雲駅前温泉らんぷの湯”(出雲市駅南町1-3-3)が目に付いた。ひとっ風呂浴びた。ほの暗いランプの明かりが心地良さを誘う。おかげで疲れがとれた。店を出た。とたんにビールを飲みたくなった。近くの店に飛び込んだ。

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“日本海庄や”(出雲市駅南町2-3-1エイコー駅南ビル1F)である。マグロと石鯛の刺し身を注文した。風呂上りのビールは格別である。さらに日本酒へと進んだ。杯を手にしながら今日の感動を反芻していた。
ラベル:焼酎 ビール 温泉
posted by 乾口達司 at 22:37| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

出雲紀行(稲佐の浜)

“かねや”を後にした。西の方へ歩いてみる。路地の両側には昔ながらの民家が建ち並んでいる。そのあいだをぬうようにして歩く。潮風が狭い路地を吹き抜ける。その勢いが一段と強まった。道の彼方に海が顔をのぞかせた。稲佐の浜である。『古事記』に記された「伊那佐の小濱」である。『古事記』は高天原から降臨した建御雷之男神が葦原中国を統治する大国主神に国譲りを迫ったことを記している。両者の会談の場となったのが稲佐の浜である。砂浜を踏みしめるようにして歩く。弁天島の前までやって来た。海と陸地とのあいだを引き裂くようにして屹立している。島というよりも巨大な岩だ。崖の上には小さな社殿と鳥居が建てられている。社殿は東を向いている。出雲大社の本殿内部に祀られた御神座は西を向いていた。弁天島の社殿と御神座とはちょうど対座するように向かい合っている。このことと国譲り神話とのあいだには何かの関わりがあるのだろうか。出雲への上陸に際して、高天原側が築いた橋頭堡。弁天島を見上げているとき、ふとそんなことを思いついた。稲佐の浜の沖には高天原の船団が停泊している。浜辺では建御名方神をはじめとする国津神の一団が武器をたずさえて控えている。おのおのが弁天島を見上げている。固唾を呑んで会談の行方を見守っている。島の上では建御雷之男神と大国主神とが対峙したままである。すでに長い沈黙の時間が流れている。十掬剣がさかさまに突き立てられている。十掬剣をあいだに挟んでお互いに次の一手を探り合っているところだ。寄せては返す荒波が高天原と葦原中国との予断を許さない交渉の行方を象徴している。弁天島はまさしく天と地とのはざまに位置する島だ。

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波打ち際に腰を下ろした。弁天島をぼんやり眺めていた。そこへ一人の中年女性がやって来た。中年女性は弁天島を仰ぎ見た。そして、崖の上の社殿に向かって手を合わせた。お祈りを済ませた女性は浜辺に打ち寄せられた木の棒を拾った。砂浜に何かを描いているようである。言葉のようだ。打ち寄せる波が彼女の綴った言葉をまたたく間に洗い流した。空を見上げた。沖の彼方から黒い雲の塊が流れて来る。雲の塊は次々と稲佐の浜に押し寄せる。そのたびに日差しがさえぎられる。しかし、明るさはまもなく取り戻される。雲は陸の奥地へと流れ去っている。その繰り返しである。雲のすきまから陽が差し込む。その一瞬、雲が光り輝く。実に神々しい。そのさまが“八雲之図”を思い起こさせた。“八雲”のうちの一つは海からの風に乗ってさらに遠くへ飛んでいったのかも知れない。行き先はどこだろう。意宇の神魂神社だろうか。それとも意宇よりもさらに奥まったところに鎮座する熊野神社だろうか。高天原との交渉で青柴垣のなかに引き籠もってしまった事代主神。その事代主神が鎮座する美保神社であろうか。めまぐるしく移り変わる空模様がただならぬ雰囲気をただよわせていた。風も強い。耳を澄ませば、往古、この浜にこだました神々の激しいやりとりまでも聞こえて来そうだ。気のせいである。このあたりに特有の気象現象に過ぎないのであろう。そんなことはわかっている。しかし、私には神秘的だった。弁天島に手を合わせていた中年女性の姿はもうどこにもなかった。島根県立古代出雲歴史博物館には、出雲や石見の各地から出土した遺物の数々が陳列されていた。加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸群も飾られていた。荒神谷遺跡から出た銅剣群も並べられていた。見応えのある内容だった。展示方法も秀逸である。しかし、稲佐の浜の魅力にはおよばなかった。何かを知り、何かを考えるとき、モノは確かに重要なアイテムではあろう。しかし、所詮、モノはモノに過ぎない。モノよりも風を感じよ。押し寄せる雲の流れに刮目せよ。寄せては返す荒波や八雲山の樹々のさざめきに耳を澄ませよ。そして、畏れよ。神話の世界を体感するということは、案外、そういうことなのかも知れない。本日の参拝でもたらされた謎の数々もそのような流れのなかでわかって来るような気がする。
posted by 乾口達司 at 22:23| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

出雲紀行(出雲大社で昼食)

宝物館を訪れた後、昼食をとった。出雲そばを食べようと思った。向かった先は……。

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“かねや”(出雲市大社町杵築東四ツ角659)である。三色そばの4段を注文した。麺は平麺。太さがまちまちである。それが田舎の素朴な味わいを引き立てている。しっかりとした歯ごたえである。美味しい。最後に濃厚なそば湯を口にした。次に出雲を訪れたときにも立ち寄ってみたい。そう思った。
ラベル:出雲大社 蕎麦
posted by 乾口達司 at 22:09| 奈良 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

出雲紀行(出雲大社)

13日は朝から雨だった。昼過ぎまでは県内全域で雨が降るという。生まれてはじめて参拝する出雲大社は雨なのか。気が滅入った。JR松江駅から普通列車に乗った。JR出雲市駅からは一畑バスに乗り込んだ。車内は出雲大社に参拝する人たちでゴッタ返していた。バスは雨のなかを走り出した。正門前で下車した。雨はやんでいた。参道を歩む。本殿に近づくにつれて陽が差しはじめた。やがてすっきりと晴れ渡った。穏やかな日差しが境内を照らしている。背後の八雲山にも新緑の輝きが戻って来た。陽の光に照らされて、八雲山の形がはっきりと浮かび上がった。オムスビの形をしている。神の宿るといわれる典型的な神奈備山である。大勢の参拝者が押し寄せたので神さまが喜んでいるのだ。背後の中年男性が連れの男性に冗談交じりに話していた。しかし、私には真実に思えた。

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本殿の特別拝観には長蛇の列が出来ていた。行列は銅鳥居からさらに外へのびていた。午前9時半にしてそのありさまである。行列の最後尾に並んだ。受付のテントは八足門の横に設けられていた。テントにたどり着いたのは午前11時10分である。記帳を済ませて八足門から楼門へと進む。本殿前で靴をぬぐ。浜床から本殿を見上げる。その大きさに圧倒された。昨日、訪れた神魂神社など比べものにならない。急勾配の階を、一歩、一歩、踏みしめるようにして昇る。外側に取り付けられた廻縁を反時計まわりにひとめぐりする。社殿は簡素な造りである。一切の装飾が排されている。しかし、それぞれの部材は豪壮である。何と太い円柱であることか。鳥避けのためだろう。部材の各所には無数の釘が打ち込まれている。開放された南側から殿内をのぞき込んだ。内部中央には一段と太い丸柱が屹立している。床から天井を貫く“心御柱”(岩根御柱)である。鏡天井には極彩色の“八雲之図”が描かれている。赤や黒、黄の彩色がほどこされている。小さな雲がたなびくように集って一つの“雲”を形成している。尻尾をうねうねと蛇行させたオタマジャクシのようである。得体の知れない不思議な図柄である。しかも、想像以上に大きい。下段の天井には5つの“雲”が描かれている。中央のもっとも大きい“雲”は“心の雲”と呼ばれているそうだ。なぜか1つだけ反対方向へ流れている。御客座五神が祀られている上段の天井には2つの“雲”が描かれている。これで“雲”の数は7つである。“八雲”でありながら“雲”は7つしか描かれていない。不思議である。不思議であるといえば、御神座の向きも理解に苦しむ。本殿そのものは南を向いている。しかし、御内殿に鎮座する御神座は西を向いている。なぜだろう。もやもやとした気分に包まれて本殿から退出した。生々しいまでの生命力をみなぎらせた“八雲”が頭のなかを駆け巡っていた。
posted by 乾口達司 at 22:04| 奈良 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする