2008年05月16日

出雲紀行(松江で一杯)

JR松江駅まで戻った。宿泊先にカバンを預けた。空腹である。早速、夕闇迫る松江の街へと繰り出した。向かった先は……。

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“磯万”(松江市末次本町80)である。座敷に通された。まずはビールで乾杯。私は焼酎へと移行した。白バイ貝の煮付やのどぐろの煮付、刺し身などを注文した。さすがに海産物が美味かった。今日の反省会と明日の打ち合わせをおこなった。明日は午前6時起床。また朝早くから活動をはじめることになりそうだ。

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さらに一人で夜の街を散策した。宍道湖から渡って来る風が酔いをさましてくれる。松江大橋の上にしばらくたたずんだ。身体も冷えた。さて、呑みなおしである。夕方から気になっていた店に入ってみた。店は駅から宿泊先に向かう途中にあった。

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“おでん庄助”(松江市八軒屋町16)である。カウンターの一角に陣取った。鯵のたたきや白魚の天麩羅をつまみながら、ビールや焼酎を呑んだ。キスのつみれやジャガイモのおでんにも舌鼓を打った。ふとしたことから隣で呑んでいた女性2人組と話を交わすことになった。地元の会社員であるという。旅に出るとこういう偶然の出会いが楽しい。遺跡や神社も大いに結構である。しかし、見知らぬ人や風景と出会うことにこそ旅の醍醐味があるはずだ。おかげで酒も進んだ。
posted by 乾口達司 at 18:28| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

出雲紀行(意宇)

出雲を旅した。12日から14日までの2泊3日である。12日は午前4時に起床した。前日までの雨は上がっていた。始発列車に乗り込んだ。JR新大阪駅に到着したのは午前6時半。新幹線ホーム21番線でWと合流した。JR岡山駅からは特急やくも3号に乗り換えた。中国山地を横断。山、山、山の連続である。山陰の名峰・大山がその勇姿を現した。視界が急に開けた。列車はいつしか米子平野を疾走していた。JR松江駅に降り立った。念願の出雲の地にたどり着いた瞬間である。

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日ノ丸バスに乗り込む。武内神社前で下車した。まずは出雲国分寺跡を見学する。数多くの礎石が青々とした雑草のなかに埋もれている。時折、海からの風が大地を駆け抜けてゆく。そのたびに雑草がさざ波のように揺れ動く。かつて“意宇”(おう)と呼ばれた地である。古代出雲の中心地であったという。そのことは数多くの古墳、国庁、古代寺院の遺跡が残されていることからもうかがえる。往時の賑わいは律令体制の崩壊とともに失われたようだ。八雲立つ風土記の丘では、展示学習館に展示された子持埴輪や「額田部臣」と記された岡田山1号墳出土の鉄剣、山代郷北新造院(来美廃寺)の出土品に心を惹かれた。写真は国宝に指定された神魂神社の本殿である。出雲大社本殿と同じ大社造である。日本最古の大社造であるという。その大きさに圧倒された。それでも出雲大社の本殿よりも小さいという。神魂神社は意宇の地を睥睨する高台に鎮座している。出雲国造家の館のあったところかも知れない。時代の移り変わりのなかでやがて聖地=神魂神社へと変化した。そう考えてみると“神魂”という名称も何やら意味ありげである。

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八重垣神社は鏡の池の縁占いで有名である。神社の裏手にある鏡の池をひとめぐりした。小さな池である。縁占いを試みる女性たちを見かけた。硬貨を乗せた占い用の和紙を水面に浮かべる。和紙が岸から遠く離れたところに沈むと、遠方から良縁がもたらされる。近くで沈むと身近なところに縁がある。すぐに沈むと出逢いの瞬間まであとわずかである。なかなか沈まない。そんなときは良縁とめぐり逢うまでにまだしばしの時間が必要であるという。彼女たちはそれぞれの和紙が沈んでゆくさまを固唾を呑んで見守っている。その真剣な眼差しをあざ笑うかのように、和紙はなかなか沈まない。鏡の池ではゆったりとした時間が流れていた。境内の末社や大木の根元には木製の男根が奉納されていた。男根の一つには「大願成就」という文字が記されていた。頬が緩む。拝殿では巫女神楽の真最中だった。リズミカルな太鼓と鈴の音色がダイナミックな躍動感を演出していた。関西の神社でしばしば見られるような雅楽風の神楽とは大違いである。出雲神楽の影響だろうか。島根県最大の前方後方墳・山代二子塚古墳や隣接する大庭鶏塚古墳の墳丘からの眺めも印象深かった。夕刻が迫っていた。
posted by 乾口達司 at 18:23| 奈良 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする