2008年04月15日

プロフィール5

プロフィールの更新が滞ったままだった。そのことに気付いた。続きを書こう。これまでのプロフィールは次のとおりである。
プロフィール1
プロフィール2
プロフィール3
プロフィール4

魅力的な教員はたくさんいた。そのなかには塚本邦雄もいた。塚本邦雄の講義は2年生になってからだった。親友のY玉が塚本邦雄のゼミに所属していた。当時、付き合っていた女子学生Sも所属していた。研究室にはしばしば顔を出した。顔を出すたびにサイン入りの自著をいただいた。高名な歌人である。国語の教科書にも短歌が掲載されている。掲載されていたのは「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人恋はば人あやむる心」だったように思う。「日本脱出したし皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も」だったかも知れない。蝶ネクタイを結んだ写真を見たこともあった。ダンディなスーツ姿の老紳士。そんな印象があった。実際は学生たちと分け隔てなく接する気さくな老爺だった。関西弁丸出しだった。どういうわけだろうか。私の姓に関心を持っていた。姓の由来を執拗に訊ねられた。平城京の乾(北西)の方角を守護する衛士。その末裔に違いない。勝手にそう決めつけられた。

講義は塚本邦雄がひたすら喋り続けるというスタイルだった。断定口調だった。迫力のある話し方だった。圧倒された。しかし、いつの間にか慣れてしまった。読経を拝聴しているようなものだった。気がつくと眠っていることも多かった。うららかなある昼下がりのことだった。塚本邦雄の話し方が妙に緩慢に感じられるときがあった。そのことに気付いて目がさめた。普段のスピードよりも確かに遅い。教卓に眼をやった。塚本邦雄は喋りながら眠っていた。

大学4年の夏だった。Sと自転車に乗り込んだ。塚本邦雄の自宅に向かった。二人ともヒマだった。面白半分に行ってみよう。そういう話になったのである。Sのアパートからは自転車で30分ほどの距離だった。途中で道に迷った。迷路のような路地に迷い込んだ。迷路のなかを行ったり来たりした。臭気がぷうんと鼻をついた。迷路のなかをドブ川が流れていた。自宅を発見したのはドブ川を渡ってしばらくしてからである。

これからどうすべきか。インターホンを押すべきか。押さずに退散するべきか。ここまで来て引き返すのは失礼ではなかろうか。Sも同じ意見だった。インターホンを押す。コンニチハー。近くまで来たので立ち寄りました。そういって靴を脱ぐ。夫人の案内でシャンソンの流れる応接間へと案内される。極上の紅茶をご馳走になる。蝶ネクタイを結んだスーツ姿の塚本邦雄が現れる。あれまあ、キミたち、こんなところまでやって来たの?塚本邦雄がいう。お邪魔でしたか?私たちが答える。なごやかに談笑。またたく間に1時間が経過する。引き揚げどきである。退散の意思表示をおこなう。もう帰るの?まだいいじゃない。ゆっくりしていきなさいよ。塚本邦雄が引き止める。いえいえ。これから立ち寄るところがあるのです。私たちがそう答える。嘘である。そうなの。それじゃあ仕方がないね。またいらっしゃい。塚本邦雄は玄関先で私たちを見送る。先生、サヨナラ。また来週の講義で。私たちは振り返りながら手を振る。塚本邦雄も手を振り返す。自転車がスピードを上げる。塚本邦雄の姿がみるみる小さくなる。角を曲がる。ドブ川を渡る。塚本邦雄の姿は完全に見えなくなる。

結局、私たちはインターホンを押さなかった。午後2時から3時のあいだは午睡の時間である。以前、塚本邦雄がそういっていたのをSが思い出したからである。私たちが自宅の前にたどり着いたのは午後2時半だった。帰り道、「乾口工務店」を発見した。塚本邦雄の自宅から自転車で数分の距離だった。その日の夜、早速、両親にそのことを話した。父親曰く「あれは遠い親戚や」。塚本邦雄は私の姓の由来をしつこく訊ねた。その自宅の近くに「乾口工務店」があった。塚本邦雄と「乾口工務店」。両者のあいだには何か関わりがあるのだろうか。いまとなっては永遠の謎である。塚本邦雄もあの世へと旅立った。いまでもときどき『塚本邦雄全集』をひもとく。塚本邦雄好みの鬱然とした言語の森を熟読吟味する。その圧倒的な世界を味到する。

(続く)
ラベル:塚本邦雄 短歌
posted by 乾口達司 at 23:02| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする